http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10860351932.html
↑なぜ、大政奉還が必要かは以上ブログに書き尽くしています。ご参照あれ。これに追記させて頂きたい。
左翼は日本にはいりません。
党利党略だけで、保身しかない
考え方では日本は護れないし
任せられません。
かといって、右翼はどうか?
それも疑問である。
軍事力は国家の身体能力の一部であって、全てであってはならない。
国には経済力という血流と政治という頭脳系統、そして、それとは別に外患から護れるだけの体力、謂わば筋力を持たないと病にひれ伏すしかない。
その一つが軍事力であって、災害から立ち上がるにも必要不可欠な体力であって、悪戯に外征を行うべきものではない。
軍事力は備えるべきもので、
決して暴力装置ではない。
平和を保つバランス装置である。
日本はそういった意味で左でも右でもない。
日本だけが有する価値観に従う
『保守』が一番そぐう。
これは『固執』することではない。
代々受け継いできた基軸となる価値観に、
これまで日本が得意としてきた『折衷』の
技術導入で新しいものや、海外からの
良い影響を取り入れ、
さらに日本的価値観を『醸造』『発酵』させ、
次世代に受け継いでもらうことで発展
を試みることである。
それをかつて行っていた時代がある。
『明治国家』である。
1867年に江戸幕府が瓦解して誕生した
明治国家は、武士という階級の半ば
『自己犠牲』によって近代国家として
誕生した。彼らは無職から蜂起し、
様々な反乱も起こしたが、
政府側は大久保利通という稀代の政治家
によって導かれ基礎を築き、のち伊藤博文
に引き継がれる形で新国家建設にあたり、
反政府側も、1877年の『西南戦争』を最後に
大きな武装蜂起を辞め、言論闘争によって
国会を開設するに至り、維新後、
わずか40年で産業革命を成し遂げる
恐るべき勤勉性で世界を席捲して発展した。
そういう意味で、大久保の行った専制は
徹底していて評価されるべきで、
伊藤のバランス感覚も存分に
国家建設に貢献したと思える。
この明治国家の根幹が、
『日本にのみ属し、日本を客観視できる
お立場』であられる、陛下のご意向を
反映する御前会議の存在であったか
左翼のように、『平明』を謳いながら、
結局は『党利党略』が明け透けで有る
思想でも、右翼のように、『暴利謀略』
で抑え込んでいく考え方でも、
結果的に『独裁』をうむことは、
【古今東西】に関わらず明らか
ではないでしょうか?
そう考えると、政権与党の
『徒党の中の仲良し幹部会議』である
『閣議』など、国民にとって何の意味も
成さない。
明治国家をモデルにして、
国民とは別の『客観的』『良識的』視点
に立った『規律』が必要ではないでしょうか?
恐れながら、陛下に国民と政治家の
溝を埋めて頂く『平明な良識に基ずく御聖断』
を仰ぐ仕組みが必要ではないでしょうか?
でご記憶の方も多いと思われますが、
大東亜戦争の終結にも『御聖断』は
結びついているのです。
死刑になってもよいから、国民に
ひとりでも多く生き残ってほしい
から、戦争をやめようではないか』
戦争の責任を天皇ご自身ひとりが
かぶるようにマッカーサー元帥に
申し出られて、天皇家の財産全部
を差し出され、その代わり食料に
困っている国民に何とか食料を
アメリカから送って欲しいと願われた
のが昭和天皇でした。
マッカーサーは確かに、天皇陛下の
日本に対する影響力を最重要視し、
混乱を避けるために陛下を
訴追しなかったのだろう。
しかし、直に接し、人となりを見て、
最後には陛下の存在に魅かれるものを
感じ入ったのも事実のようである。
戦後、私達がこんなに豊かな平和な生活を
楽しむことが出来るのは、陛下のこれもまた
『自己犠牲』の精神から享受できたものであり、
それを国民は忘れてはならないのです。
その精神は今も、『思いやりの心』として皇室に
引き継がれ、被災地を回られ、
一人ひとりにかける、お言葉になって
被災者を慰めています。
故に、『大政奉還』が一番良い。
一旦政局は私利私欲のない陛下へ返し奉り、
その後に『御前会議』を召集し、
民意を、財界を、現場を、様々な立場を
代表して意見交換し、日本を客観視して
頂いた『平明な御聖断』を仰ぐべき
ではないでしょうか?
以上は、私の論であることを追記させて頂きたい。