普段、我々はその瞬間瞬間で判断を迫られる。それが生きていくためには必要な措置ですが、
判断基準について物申しますと…。
趣味趣向や食べ物、生理的現象で好き嫌いは否めないし、
これを分かってもらおうとしても同じ感覚を共有していない限り無理です。
辛いものに慣れていない人にいくら激辛の良さを主張しても意味がないし、分かってもらおうとするだけ、虚しさが募るものです。
ここでは『なべちゃりん的考え方』として、好き嫌いで記事にさせて戴いてますので、お気に召さなければ、素通りで結構なのです。
音楽にしたって、私の趣味などは共有してもらおうなんざ思っても、一風見逃ししてしまうものに食いつく性格ですから、ステディーにさえ理解されていません。
(歌なしの音楽などは特に)
そう、好き嫌いはあっていいし、それは理解を求めるべきではなく、自分で追求すべきもので、ゴリ押しは嫌がられるだけでしかない…
しかし、正しい間違いは一つです。
基本的に普遍でなくてはなりません。
時間が経ってから分かる正義もあれば、瞬間瞬間で判断すべきものもあります。
そして、今後の善後策や展望を共有するためには考え方を一本化しなければ何も始められません。
歴史科学や政治家の政策は、時間が経ってからその評価が分かるものです。
瞬間瞬間では、まず何を置いても最優先にすべきことはあるはずです。
飲み物が目の前でこぼれているのを見て見ぬ振りをする人がいないように、生命に関わることが最優先でなければなりません。
そして、今を見て、過去も評価を学ぶことで、未来に向けて何をどうすべきなのかは、自ずと分かってくるはずなのです。
今の政府は、こういうことが分かっていないものと考えられます。
歴史は誠実に正確に知るべきです。
過去を振り返ることは、決して後ろを向くことではない。
未来への糧になるのです。
今を判断することは、柔軟性と信頼性に繋がるのです。
現場を見て現実という正しい真実の把握なしには身動きは取れません。
卓上でどうのこうの、法案決議がどうのこうの言っていては、こぼれ落ちる生命を救えません。
同時に『仕分け』ではなく『手分け』をして、未来を考える別の勘案機関も必要不可欠です。
いろんな視点に立てば立つほど、物事の全貌は明らかになり、より真実味と正確性に近くなるはずです。
どうか
好き⇔嫌い
正しい⇔間違い
これは全くの別物だと、早く多くの人々が気づいて欲しいです。
そうすれば、世界平和にも近づけるものと信じています。
また揺れましたね!!!!!