世の中には沢山の言葉が溢れてるけど
生きる道に迷った時に響く言葉ってあるよねぇ。
そんな中でもスーッと心に収まる言葉達が多いのが、ネイティブ・アメリカンの名言。

 「人間は、誰かの思いで出来ている。」米国のネイティブ・アメリカンは、本当にこんなことを信じていた。そして、世界で誰も自分の事を考えなくなったら、自分の姿は消えてしまう。いつも誰かが考えて、あなたを思っている。これは、ブラックウルフ族のインディアンの伝承である。本当かどうか分からないが、私は本当だと思っている。


 たった1人でも、だれかがあなたを思っている。だれもあなたの事を思わなくなったら、人はこの世からいなくなって消えてしまう。・・・「鏡を見て下さい、自分の姿がみえますか・・・見えたら誰かがあなたを思っている証拠。」もし、くっきりと映っていたなら、誰かがあなたを、強く思っています。・・・


 愛の反対は、憎しみでは無く、無視であるとだれかが言っていた。「人は観たいものしか見えない」と言ったのは、古代ローマの英雄カエサル・シーザーである。「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。たくさんの人は、見たいと思う現実しか見ていない・・・」と、彼は何度も引用している。


 誰しも、孤独に悩まされたり、理想と現実のギャップから現実の世界から目をそむけたりして、自分を見失わない様にする。「見たくない現実」を真剣に注視して、それを本気で考えても、答えがでるどころか、出口のない迷路に誘いこまれてしまう。それは、人間という、不確実でつかみ用の無いものが相手だからなのだろう。


 悩みのある人は、表面的な生き方の中で、もしかしたら自分で悩みをつくっている。ちょっとした事に気がつくことで、悩みを解決することもある。悩んでいる人は、そのちょっとしたことに気がつかないで生きていることが多い。つまり、ほんの少しの事で心がなごむのは、日常のほんの少しの事で心を痛めているからなのだ。


 アメリカのインディアンは、小さな花にも、空飛ぶ鳥にも、そして木や草にも、光にさえも教えを請う。大自然に息づく「生」の営みを感じる事で、迷いや苦悩、絶望から解き放たれるからだ。彼らの深遠なるメッセージに耳を傾けてみると、そこには現代人が忘れさられている「人間の原点」がある様に思われる。


 そして、「あるがままに受け入れる・・・」スー族の太陽の踊り手は言う。宇宙は木、我々は枝、太陽の光を木の葉を広げて受け止めるだけでいいのだ。そうすれば、あなたは決して壊れない。生きていくうえで、嫌な事はだれにでもたくさん存在する。しかし、それも生きている証である。暗い闇や月のやすらぎがなければ、太陽の輝きも分からないだろう。・・・


 族長ウルフ・ジョーンズはこう言っている。「そこにたどりつくのにあせってはいけない・・・」。なぜならば、「そこ」など、どこにも無いのだから。「心配するな、あわてるな、最善をつくせ、そしてあとは忘れろ・・・」それだけでいいのだ。なぜならば、あなたはだれかの思いで出来ているのだから。・・・

 (注・ネイティブ・アメリカン「聖なる言葉」ブラックウルフ・ジョーンズ著より引用・・・)

こう有りたいと思う。あるがままを受け入れて、その中の全てを感じ、一体となり、やがて忘れていく。そして次の新しい明日に繋げいく。
とても単純で できそうでできない。
もし、できるのならば感謝と迷いのない満たされた時間の中で生を全うできるのであろう。