今年も富士スピードウエイにランボルギーニ ブランパンがやって来た。
鈴鹿ではスーパーGT鈴鹿1000キロが開催され富士でアジアルマンシリーズとランボルギーニのワンメイクレースが開幕し、同じカーレースでも意味合いの違うレースイベントが同時開催されることになった。
今現在アジア圏を巡るワンメイクレースはポルシェ、アウディーなど多数の自動車メーカーが行っているが残念ながら国産メーカではまだ開催されていなくNISSAN GT-Rも可能性があっただけに残念で仕方ない。
来年の富士ワンメイクレース祭りでアジア圏で開催されているワンメイク車両をすべて集め同時開催するとめっちゃ盛り上がると思うのは私だけではないと思う。(ワンメイク対決)
今回も初戦でサポート参戦したディランゴレーシングに合流し、表彰台を目指すことになる。
私が担当するのは今回から新車を投入し参戦をする air-J 車両で新車と言う事もあり急ピッチで準備を進めて行った。
air-J
これらのワンメークレースは各アジア圏サーキットを転戦し、レース終了後は即刻コンテナに積み込まれ次のサーキットに向かい、車両のメンテナンスは次のサーキットで行う現地メンテナンスとなる。
当然、現地メンテだとトラブル発生時には大変な事になり場合によってはその時点で敗戦チームとなりえる。
このシリーズを上手に乗り越えていくには人の繋がりが不可欠で現地で協力してくれる人をどれだけ確保できるのかがポイントになり、時間の制約も出て来るのでメカニックのスキルも求められる。
これを俗に、コンテナレースと言う。
今回、富士と言う事で我々にとって有利な状況だったがそれでもレースまでドタバタで車両メンテと言うか準備が大変だった。
とりあえずコンテナに閉じ込められた車両を引きずり出し、まずエンジンがかかり走行が出来る事を確認する事から始まる。
今回新車と言う事もあり慎重に進めて行ったが、レーシングカーを知らない人たちは新車ということですぐに走行出来ると思ってしまうが、レースカーは初走行時(シェイクダウン)に大抵トラブルが起きる。
実際今回も大事には至らなかったが重大トラブルが早速起きた。
そんな心配をしている間にも準備をしなければ行けなく、走行中でもデザインをおこし車両カラーリング、塗装作業などを急ピッチで速やかにこなして行った。
そんなこんなで無事完成し、撮影会に間に合ったが車両ナンバーは私の独断で23番を貼りつけておいた。
大変な作業の甲斐あり2台の車両とも練習走行から好タイムを出し期待出来るが24号車をドライブをするCTEドライバーの浦田 健選手がどこまで頑張るのか心配であった。
浦田選手は直前に行われたGTアジアマレーシア戦で最終ラップにオーバーテイクしGTMクラス優勝と言う快挙を達成しスポーツ新聞にも取り上げられていた。
レース活動だけでなく事業の分野でも勢いがあり日本でけんさんと言えば、志村けんか浦田けんかと言うぐらい勢いがある。
息子さんが表彰台に上っていたが私も上りたかった。(便乗)
と言うように私を含め全員好調なままイベントが開幕したが、23号車は初陣である混乱の予選1で3位を獲得すると言う最高の出だしをきった。
予選2では24号車、23号車が揃って中断グリットを獲得し表彰台を目指す。
しかし、土曜日に開催されたレース1では上位を争っていた23号車と24号車が接触し、23号車がクラッシュすると言う、F1の世界で良くあるチーム同士の接触事故がおこってしまい23号車はリタイヤになってしまった。
F1と違うところはクラッシュしてもお互いいがみ合う事は無く文字通りジェントルマンレースであった。
私はこの後の作業を考えた、メカニック男泣き。(素泣)
レースがリタイヤに終わり残念な気分に浸っている場合では無く車両を早急に修理しなければレース2だけでなく次戦まで影響が出る可能性があるので速やかに作業を進める必要がある。
カラーリング施工をしたもらったばかりの業者を呼び出し夜どうしカッテングシートを貼り直すと言う過酷な作業になった。
と言う具合に話を面白くする為、過酷な感じで書いてみたが実際には意外と簡単に修復でき余裕をもってレース2に挑む。(余裕)
レース2も大クラッシュが発生し、混乱があったが2台とも冷静にレースを進めて行った。
ここで活躍したのが24号車で勢いがある浦田選手が混乱を潜り抜け4番まで上がり好位置でディランタ選手に交代し2位表彰台獲得。
23号車は初レースの内田選手が混乱も経験しながら安定走行し篠田選手とも初完走。
と言う感じで無事レースが終了し、次戦に向け速攻で車両をコンテナに積み込み終了となる。
何か嵐のように来て嵐のように去っていったがこの数日間が素早く通り過ぎた。(疲労困憊)
これがコンテナレースの醍醐味なのだろう。
大変な時は最悪な気分になって嫌になるが終わってしまうと不思議と寂しくなるのは一つの作戦を終えた達成感かもしれない。
今回色々な業者を巻き込んで助けてもらったが感謝して止まない。
私が懲りず参戦するのは上海戦になると思うがそれまで体力を温存するしかないと自分に言い聞かせている。
来年はウラカンを使い日本で独自のワンメイクレース開催も良いかもしれね?(トロッフェオJAPAN)