ジャール平原を後にし、昼食をとり、それからまた車で次の場所へ。
実は全くの不勉強で、ここに来るまではほとんど知らなかったのですが、ラオスはベトナム戦争の被害を受けていたのです。
アメリカはベトナム戦争当時、ラオス国内に展開した北ベトナム軍やラオス共産勢力を掃討するためにラオスにおいて秘密戦争を繰り広げました。
山岳民族のモン族を傭兵として使っていたのだそうで、CIAは風向きが悪くなるとモン族を捨てて自国へ帰り、共産軍が台頭したラオスにおいて、モン族は裏切り者として扱われることになったのです。
そして秘密戦争まっただ中、一説によると7,500トンもの爆弾がここシェンクワンに落とされたとのことです。
上記のことが事実であることをまざまざと感じさせられる、クレーターです。
大きさを表したかったため、ガイドさんに立ってもらいました。
爆撃を恐れた市民は洞窟に避難して共同生活を行っていましたが、そこにゲリラがいると勘違いしたアメリカ軍は洞窟を爆撃。
非武装の一般市民だけがそこにいたため、地獄絵図と化したそうです。
(写真はありません。撮っていけないわけではないのですが、生活していた様子を当時のままにしているため、胸に迫るものがあり、興味本位では写真を撮れませんでした)
でも何があっても生き残った人間は生活を続けます。
そんなことを感じさせてくれるのが以下の写真です。
爆弾の外側を支柱として使用しています。
頑丈だからなのでしょうが、複雑な思いです。
プランター代わりに使用していたりもします。
人間のたくましさというものを感じます。
でも、そんな思いも一人の老人との出会いでもろくも崩れ去りました。
このご老人には途中で立ち寄った雑貨屋さんで出会いました。
英語を話さずフランス語とラオ語だけなので、ガイドさんを通じてのお話しかできませんでしたが、ぽそっと「私には娘がいたんだ」と言いました。
私をじっと見つめ、涙ぐんでいます。
私の年齢ぐらいの娘さんが亡くなったのだということは容易に想像できました。
かける言葉が見つからない私が動けないでいると、彼はそっと手を握り、「元気でいるんだよ」と言いました。
私には歴史の一部でしかないベトナム戦争やラオスの秘密戦争は、彼の中では過去に現実に起きたことなのです。
戦争の傷というのもはとても深いのだと感じました。
遠足気分で出かけていったジャール平原ですが、その後の半日は重苦しい気分にもなるものでした。
でも、現実から目を背けても何にもなりません。
今まで知らなかったことを自分の目で見て、そこからたくさんのことを感じることができました。
帰国後は秘密戦争に関する本を読み漁ったのは言うまでもありません。
もっと世の中のことを知りたい、と思うことができ、私の人生に意味深い一日になりました。