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波と風の出会うとこ

日々感じたこと、
残しておきたいこと、
共有したいことを書き留めます。(主に精神世界・高次元・西洋占星術の話)

自分を信じる気持ちを忘れてしまわないように。
日々を楽しめるように。
心にいつも、空と海を。


神様、という言葉は、何とも重くそれでいて理解を諦めてしまっているような、悲しい響きだなと思う。
理解を超えたものへの絶対的な畏ろしさ。
そうして感じる圧倒的な陶酔感。
すべてを表しているようで、実は何も意味をなさないような。
特に、それを神様ではないヒトに対して使う時には。


神様のようと形容された時、よくわからない嫌悪感と、優越感と、悲しみに襲われた。
そうして、このヒトとはヒトとして対等にはなれないのだなと思う。
このヒトの中で私は、飽くまで神様で、完璧を求められる。
その完璧さを汚すしか能のない私は苦しくなる。
神様なんていないのだとまで思ってしまう。

それでも、誰かのことを神様のようだなと思ってしまうことがある。
少なくとも、神が私に遣わしたヒトに違いない、と思う。
ぼんやりとした世界に突如はっきりとした対象が現れ、そこから放たれるすべてが私を私にしてくれる。
もしくは、私でなくなる。
強烈で、すべてが夢のようでもあり、本質のようでもあり、至福の時間。
天使の微笑みに包まれるような、濁流にのまれていくような。

そうして私はいつしか、恋に落ちたと知る。


神様の中にヒトを垣間見るから恋をするのだと思う。
完璧さの鎧を包んだ脆さを知りたくなる。
脆さを隠さない、その完璧さを眺めていたくなる。
完璧なようで完璧ではない、自分と同じはずの何者か。
でも、そう悟った時にはもう遅い。
神様ではなく、そのヒトにもっと触れたいと思った時には、もうそこにはいない。
優しい肌触りの感覚だけが残り、その記憶にまた、恋をする。
神様はいないのに。いなかったのに。


そうして苦しみすら愛おしくなった頃、気まぐれに心の中に影を落とす神様に抱かれながら、ヒトの中に神様を見つけることを知る。

心が準備をしないままに、また年が変わり、何かをしなければならないような、何かを始めなければならないような、落ち着かない焦りを感じる。そうして何をしようか考えあぐねているうちに、日々が日常の色を取り戻し、ぼんやりとした時間の流れの中に「きっかけ」が隠れているのを待ち始める。

その「きっかけ」は、若かりし頃は希望や期待の体をなし、きらきらと輝いていた。宝探しのようにあっちへこっちへ見つけに出掛けては、その存在に心を躍らせる。その積み重ねが自分の、自分だけの宝物に繋がっているのだと信じて疑わず、漠とした前向きさに身体も心も任せていた。

そうしていつしか、その希望や期待に寄りかかり、現実の自分がどこか他人のようだと気付いた頃、自分は一体何をしているのだろうとふわふわと絶望し始める。「きっかけ」を見つけては、手にしたものと天秤にかけ、他人のものと比較し、ある日、手のうちに大事に抱えていたものは使い古しのぼろ布であったと気付く。

何をしてきたのか、何を得てきたのかもわからぬまま、他人の歩んできた道が確実なものに思えて、欲しがる。他人の優しさや前向きさが羨ましくて知らぬ間に後ろ向きになり、きらきら輝きたいのにと自分を見る目を曇らせていく。大切な人の言葉が耳をすり抜け、形ばかりの笑顔を顔に貼り付け、褒められて良い気になっている。正しい道を歩み、これが正解なのだと信じていた。

私の心に、何かのはずみで、嵐の時の黒い海にも似た感情が押し寄せた時があった。いや、実はずっとその気配に気付いていて、いつかと同じように「きっかけ」を待っていたのかもしれない。いつしかそこに恐怖とも言える焦りが加わっていたように思うのだけど。どちらにせよ、確実に思えた自分の道がぐにゃりと歪み、他人の道に足を置いて辛うじて立っているような不安定さを覚えた。違う、何か違うと、時には黒く時には真っ白な色をした確信の思いに包まれる。

私は地に足が着いていると思っていた。ただ、その言葉の意味する「地」は、思っていたものとは違ったみたいだ。社会の物差しを大切にしすぎて、私が立つ「地」がどんどん見えなくなってしまった。私は、気付くことができた。気付くことができたのだから変わることができる。

新しい年が始まった。これは「きっかけ」なのだろうか。これを「きっかけ」としてみようか。また前を向いてみようか。そんな風に自分の中から溢れる思いに気付いた時、きらきらが溢れている気がした。昔、とても希望に溢れていた時に感じていたきらきらと同じようだけど、少し異なる。違うのは、きらきらの奥に何だか優しい気持ちを感じること。それは、どんな私であっても見守ってくれた人たちへの感謝の気持ち。

希望と優しさの輝きに包まれた時、肩の力が抜け、自分を愛しく感じる瞬間に出会った。そしてふと思う。もしかしたらこれが、地に足が着いているということかもしれない。社会的な正解を探して生きることではなく、周囲に感謝しながら自分を大切にするということ。言葉にすると何とシンプルなのだろう。現実を難しくしているのはきっと自分なのだろう。

さあ、新年。気付いた自分に感謝して、自分を支えてくれている全てに感謝して、また私と歩もう。

そろそろ梅雨が明けるかな



引き寄せの法則がすごいと思うのは、「感情」で引き寄せ度をがんがん加速度的に上げていくこと。

願いを言葉や文字にするだけでも、オッケーだけど、
感情的に叶った状態を再現して味わったほうが、引き寄せ度が強い。

そして体感的には、あまりにも願いにフォーカスしすぎるよりも、わくわくして、オープンになった、ある意味では漠然とした状態の時の方が引き寄せる。
(ポジティブもネガティブも同様にではあるが)


だけど、気分が下がり気味の時って、そのわくわく感を想像することが難しかったりする。




そんな私、
一匹狼で隠れて引き寄せの法則を試していた私、

最近知りました。


「自分一人よりも仲間がいたほうが引き寄せる!!!」
…ある意味、私が引き寄せられる。


「わくわくする環境」ほど恐ろしいものはないね(笑)
心が閉じそうになっても、
日々の雑事に振り回されていても、
頭でっかちになっても、
触れるだけで自動的に心がオープンになる、そんな環境。
どんな夢も応援し合える人たち。
仲良しの相手、とはまた違う、そんな仲間。


もっともっと関わっていきたいな。

今日も良い一日になるよ。