ころなさんによって、今までの人生にないほど、家にいる、一人でいる。
毎日目にする報道はおよそこの世のものとは思えないほど、本当に映画を見ている気分。
今を見ろよ、
自分を見ろよ、
周りに流されるなよ、
助け合えよ、
目醒めろよ、
愛だよ、
そんなメッセージをばんばん受け取る。
スピリチュアルに傾倒しているつもりはないけれど、
これだけ恐れや不安の集合意識にまみれているんだから、
同じくらい愛や調和を叫ぶべきだと思う。
現実を見ろよ、という声が自分の中から湧き出るけれど、
恐れや不安にまみれていることが現実を見ていることなのだろうかとも思う。
恐れや不安は、自分のものではない。
それにしがみついて、それをまとって、そのベールを通して現実を見ているのは自分だ。
現実は恐れや不安ではない。
逆に、愛や調和でも、たぶんない。
もっとフラット。
だからかけたいベールを自分で選択すれば良い。
(ちなみにいわゆる「現実」は、私たちの波動を映し出している単なるスクリーンだから、本当は「現実ありきのベール」じゃなくて、「ベールありきの現実」ということなんだと思う。)
それでも出てくる不安や恐怖は統合していけば、手放していけば、良い。
逆に、
ころなさんを神の使いとか、地球浄化とか、そんな風に超前向きに捉えるのが悪いとは思わないけど、
超前向きの背中には超後ろ向きがひっついている。
ころなさんはころなさんであって、何者でもない。
自分がそれをどうとらえるか、ただそれだけの話なんだろう。
死や苦しみ、悲しみが伴う可能性はある。
苦しみや悲しみが少ない方が良いなんて、わかってる。当たり前。当たり前すぎる。私もできれば楽に生きたい。
でも、ドラマなんだよね、これが。
生きてるからこそ体験できるドラマ。
こういう展開があるから、自分の大切なものに気付いて、生き方を見つめ直すことができる。
渦中にいたら、そうすんなり納得できないというのはよくわかる。
私だって大切な人たちが苦しんでいるときに、ドラマだね、なんて言われたら殺意がわくと思うし、芸能人が亡くなったニュースにも涙している。
でも納得する必要は、実はない。
ここで言いたいことは、
本当にそうなった時に、悲しみながらも前を向けるように、
今を生きる、自分を生きる、を今この瞬間から実践すべきじゃないかなということ。
結局これしかできないんだよ、人間は。
環境のせいにしてる限り、
未来の心配をしている限り、
他人の感情に気を使っている限り、
どう生きて良いかわからなくて、ただ苦しいだけ。(結局そういう現実は自分が作っただけだし)
失ってから大切なことに気付くということになりかねない。
今、自分ができることをしよう。
今、自分が大切にしたいことを大切にしよう。
今、自分が力を注ぎたいことに力を注ごう。
なお、「できること」というのは、地球視点ではなくて、宇宙視点で考えるべきなので、
あれこれ行動する必要はない。
ただゆったりした気持ちを保つだけで、集合意識の不安が癒される。
はあー、すごい時代に生まれてきたもんだ。