お久しぶりです、RECOです。
本日は、今月22日に開催を予定しておりましたNAADAのライブ中止のお知らせと、その判断にいたった基本的な私のコロナに対する考え方を綴ろうと思います。
まずは何よりも、今回のライブ中止について、快く応じてくださった会場スチュ・サトクリフの店長、そして決断を受け入れてくださったお客様に心から感謝申し上げます。
また皆さんに、全力で音楽に集中することの出来る環境でのステージをご覧いただける日を、私共も切望しております。
コロナでライブができなくなったのは今回で2回目ですが、この度も残念なお知らせとなってしまい、私自身大変心苦しく寂しい気持ちでいっぱいです。
前回のライブで初出しした新曲も、前よりももっと自分たちの解釈が深まり体に馴染み、楽曲と時間を共に過ごすことでしか得られない類の親密性が深まっていたし、懐かしいあの曲を新鮮な形で聴いていただこうか、などなど色んなアイデアに心躍らせて、楽しみにしていました。
やりたかったです。
ライブ中止を決定せざるを得ないと判断した後すぐに、公表よりも先にまずは既にご予約下さっていた方全員にメールをお送りいたしました。
温かいご返答をいただくことが多く、次に開催できた時にはきっと待ってて良かったと感じていただけるライブにしようとより強く感じたものです。
ただそれと同時に、当然と言えば当然なのですが、この判断に多少の不満を感じる返事もいただきました。
そこで今まではっきりとコロナに対する私の考え方を発信したことがなかったのですが(明確な意思の下、発信せずにおりました)、一度きちんと文章にまとめてみようという考えに至り、こうしてしたためております。
コロナについて、本当に様々な捉え方・向き合い方があり、どう付き合うか途中までは各々の自由だと私は考えています。
「途中まで」は。
先に私自身の考え方を書きますと、私は「コロナは風邪ではない」「非常に怖い」「かかりたくないし、自身が媒介して誰かを危険な目に遭わせたく無い」です。
私は喘息も持っている上、パートはボーカルです。
ボーカリストは、ノーマスクで長時間閉鎖的な空間の中で大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返します。
マイクガードをしていても、直前の抗原検査で陰性でも、危険性がゼロになることはない以上、最も配慮しなければならないパートであり、同時に、最も命がけのパートでもあります。
ドームやアリーナで開催される、ステージと客席が到底空気の混じることのない距離が保たれているライブならいざ知らず、一般的なライブハウスのキャパシティー以下の空間でボーカルライブをやることについて、どういう判断を下すのが正解なのか、ライブ中止に不満を感じた方に私は逆に問いたいです。
残念に感じていただけることは光栄ですし嬉しいです。
私だって残念ですから。
でも、「不満」や「納得いかない」という種類の感情を向けられることには、こちらこそ違和感しかありません。
今感染し重症化しても、高い確率で受け入れてもらえる病床がないかもしれません。
それを知らない方はいないのではないでしょうか。
その上で、狭い空間で長時間ノーマスクで息を吸えと言われることは、大袈裟ではなく「死ぬ覚悟で歌え」と言われているのと同じだと考えております。
「コロナはただの風邪だ、大袈裟に騒ぎ過ぎだ」
そう思うのは自由です。
だけど自由なのは、「そう思う」ことまでだと思うのです。
自分はコロナを気にしてないから周りがうるさいからマスクはするけど付け方なんか適当でいいし、内容問わずイベントにもどんどん行くし、外で気軽に酔っぱらうぜ!って方は、世界に「同じ考え方の方々」と「コロナ」しか存在しないところへ行っていただきたい。
少なくても今この世界には、コロナにかかったら死んでしまうかもしれない人も存在しています。
その人がどれだけ頑張って自衛していても、どこでどんな形で感染させられてしまうかわからない。
お互い全力で対策をした上で感染してしまったのなら加害者はいませんが、「自分は気にしなーい」と言ってゆるゆるの感染対策で出歩いていた人に、もし自分の大切な人が感染させられたら、私はそいつを許しません。
さらに、「気にしない」「ただの風邪」と言っている(そういう行動をしている)人に対し、声を大にして言いたいのは、もしかかって呼吸困難になっても、入院も酸素マスクも求めるなよ?ということ。
昼夜を問わず必死で命を救ってくれてる医療従事者の方の「お願いだから避けられる不特定多数の集まりなら避けて」という声も、「コロナは風邪じゃないんです」という声も無視して、自分が信じたい都合の良い説や話だけを信じ好き放題していた結果感染したのなら、それはもう足りない酸素マスクや病床を割いてもらう権利はないと思います。
強すぎる言い方かもしれないし、攻撃的な思考だと感じられてしまうかもしれないけれど、逆に私にとっては、今の状況でライブをやらないことを不満だと言われることは、もの凄い攻撃的な言葉を受けていることになります。
「君は死ぬかもしれないけど、楽しみにしてた人もいるんだし、そんなこと気にしてたらこの先いつライブ出来るようになるかもわからないし、お店や業界が死んでしまうかもしれないのに自分勝手だね」と言われている気分になるからです。
というか、実際そう言われていることになります。
楽しみにしていた人もいる・・・そんなことは誰よりもわかってます。
その方達にどんだけ聴いてほしかったか、逆にわかりますか?
いつライブ出来るようになるかわからない・・・そうですね、わからないけど、少なくても今は絶対に違うと思ったのです。
お店や業界のため・・・何も考えず自分の身だけを守ってこの判断をしているわけじゃありません。
正直な話、お店やプレイヤーの活動存続に必要なのは、スタッフやプレイヤー自身の身の安全と、生活や経営を継続してくためのお金と、通常営業を再開した際に応援してくれるお客様の存在だと思っています。
私はお客様から見ればプレイヤー側、お店から見れば客側の立場ですが、お客様の「聴ける日を心待ちにしてます」という言葉に支えられ、お店には必要ならクラウドファンディング等もしたいと申し出ました。
オーナーの男気で断られてしまいましたが、私は心からお店を応援しているし、営業を存続していくために困るくらいなら喜んで協力したいと思っています。
でもそれは「今出演して大声を出すこと」ではない。
ただそれだけです。
前回のライブの時は、既にコロナではありましたが、あの時より今はさらに感染者数も変異株も大きな問題になってしまいました。
私は、私自身も、メンバーも、お店のスタッフさんも、そして来てくださるお客様にも、私たちのライブで危険な目に合わせるきっかけを増やしたくない。
今ライブをしないと金銭的に生活できないのなら、私は違う仕事で繋ぎます。
選り好みしなければ求人だってあります。
そのやり方を、ミュージシャンとしてプライドがないと捉える人もいるかもしれないけど、音楽以外の仕事をすることでしか得られない体験や価値観、センスや発見を音楽に活かせない人の方が、ミュージシャンとして浅はかだなとすら思っています(これはコロナに関係なく常に思ってます)。
誤解しないでいただきたいのは、音楽だけで生きている人を否定してるのではなく、音楽以外の仕事をすることがミュージシャンの威信に関わることでは無いと考えているという話です。
少なくても私は、今回のライブ中止に対して「申し訳ない」という気持ちはありません。
何ひとつ後ろめたい気持ちは無い。
残念だし、悔しいし、寂しいし、聴いてほしかったし、お店を盛り上げたい気持ちも、お客様の笑顔を見たい気持ちも、ライブの感想を聴いたり、久しぶりに少しお話したりしたかった気持ちも全部全部本音だけど、「中止したことは私たちだけのための自分勝手な判断だ」とだけは思ってないです。
ワクチンを打った方も、待っている方も、打たないつもりの方もいると思います。
これについては、私は完全に個人の自由だと考えていますし、打つ・打たないどちらがハイリスクなのかもわからないと認識しています。
マスクをできない基礎疾患を持っている方や、どうしてもマスクを日常的に付けられない方もいるでしょう。
その方々を責める気持ちも一切ありません。
消毒したら手が荒れてしまう方、こまめに手を洗うことが難しい職業、本当に色々な事情や立場があります。
そういった方々と、「全部別に可能だけどやりたくないだけ」の人たちは一緒じゃない。
やりたくないの理由も、「別に気にしてない」や、もっと言うなら「自分はいつ死んでもかまわないから好きにやりたい」という方も見かけますが、その人がいつ死ぬかは確かに自由ですし止めませんが、死にたくない方に媒介してしまうことを自由の中に含めないでほしい、それだけです。
どこまで考えて自由を主張してるのか。
本当にちゃんと飲食している間はしゃべらず、食べ終わったらすぐにマスクをつけてから小さな声で会話をする。
こまめに手を洗い、体調に違和感がある人は外出を控え、飲酒などの自制心が緩むことは外では慎む、飛沫が飛ぶような大声や近距離での接触は出来るだけ避ける。
こういった基本的なことを全員が徹底していれば、ここまで悪化することはなかったかもしれません。
個人の価値観で「自分は気にしない」人たちが、このうざったいコロナ渦を長引かせて、応援したい店や業界を追い込んでいるのではないの?と思うのです。
私は早く終わらせたい。
早く元どおり、「演奏に集中出来るライブ」がやりたい。
コーラスも入れて、全力の大声を出して歌えるライブがやりたいです。
だから、今は我慢してるんです。
どういう考え方をするのかは自由だけど、邪魔と攻撃的な否定だけはしないでほしい。
それはあなたの自由ではない、と言いたい。
あなたの自由に邪魔されて、どんどん元の生活が遠のいている、その間に潰れてしまう店や業界や店員や演者や色んな業種立場の人たちがいる。
応援しているようで、遠回しに追い込んでいないか、一度考えてほしい。
こんなことを書くと、店に人が行かなくなる現象を助長する懸念もあります。
そうではなくて、上に書いたような対策をしっかりとして、自分も周りも守りながら行ってほしいというだけです。
そして私の中で、「ボーカルライブ」はその対策の輪を逸脱していると判断したので、中止にしました。
ライブハウス界隈での感染の話も、日増しに耳にします。
でも必ずしも感染してしまった方が、ゆるゆる対策しかしていなかったわけではないと思うんです。
むしろ人一倍気をつけてた方もいるかもしれない。
だけど、誰がどんな形で媒介してしまうかわからないのがウイルスです。
人を集めるということには、そのリスクと責任がつきまとう。
その中で、特にボーカルは別格にハイリスクだと思うのです。
私は、今ライブで歌うのが怖い。
自分の感染も、誰かに感染させてしまうことも、NAADAのために集まってくれた場で感染が起こってしまう可能性も、怖いんです。
それは「今」歌えないことよりも、ずっと重要で、どうしても軽視できない感情なんです。
長くなりましたが、これが私個人の率直な気持ちです。
NAADAとしては概ね全員この方向ではありますが、細かい価値観や感情の温度は、3人それぞれ違います。
あくまでもこの文章は「私の」思いであるということを断言させてください。
また、思いのすべてを書き切ることはできないので、言葉足らずや表現不足のせいで意図せず誰かを傷つけてしまっていたらごめんなさい。
これは自分と違う意見を否定したいという文章ではなくて、「否定されたくない」という側の思いが主旨となっています。
万人に共感されたいわけではありませんが、共感は出来なくてもこういう思いで下した判断だということ、そして、こうして頑張って我慢しながら過ごしている人間もいること、そういう人間が今ライブをやっている人たちと比べて音楽への想いが弱いわけでは決してないということはご理解いただきたい。
私は医療関係者でも学者でもないので、この先また新たな情報や移り変わる状況次第で、違った考え方や意見になっていく可能性もあると思います。
ただ、今の素直な気持ちはこれです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
(長かったでしょうに・・・・。)
「配信ライブしてほしい」「残念だけど待ってる」などのご意見、きちんとすべて胸の真ん中に受け止めています^^
ありがとう。
本当に嬉しいです。
中止の決断をして、しょんぼりしていた心に優しく響きました。
こう見えて毎日活動してるんです、NAADA。
ちょっとまだ伝わりづらい時期ですが、ちゃんと動いてますからね^^
いつかまた全力のライブを楽しんでいただける日のために、精進してまいります!
みなさまもどうかどうか気をつけてくださいね。
RECO