行ってきました!
馬堀海岸からの
観音崎からの
浦賀へと
念願の
三社参りへ!
・走水神社
・叶神社(西叶神社)
・東叶神社
神社巡りは
やっぱり楽しい!
私のリフレッシュデイは
やっぱり神社仏閣巡りです。
一社目は
走水神社(はしりみずじんじゃ)
時系列は逆ですが
写真は参拝後に撮影しています。
到着したときは曇っていたお空も
参拝後にはアマテラスがお目見えしてくれました
走水神社は
日本武尊命
御后の弟橘媛命(オトタチバナヒメのミコト)
のニ柱です。
HPより
走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。(走水神社の創建です)
日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、海中に身を投じられました。たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。
上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。
奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書紀』にも記されております。
また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に櫛が流れ着きました。村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました。
命にかえてまで
荒ぶる海を静めた弟橘媛命を敬いました。
こちらは別宮。
「さねさし
さがむのおぬにもゆるひの
ほなかにたちて
とひしきみはも」
この地域の方々が
弟橘媛命を敬っているお気持ちが
伝わってきます。
いつもこの海を見守っているんですね。
3匹のトカゲに遭遇!
ワクワクが止まりません
続きます
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