今月の己巳の日に

上野不忍地辯天堂へ。





この日は辯才天さんの縁日!



運良く!

縁日法要に参加することができました。



HPには

八臂辯才天(はっぴべんざいてん)さん。



本堂には

八臂大辨財天(はっぴだいべんざいて)さん。




『大』が記されていたので

ここでは後者の呼び方で。

八臂大辨財天さんは

8本の腕があります。




檀家さんなのかな

信徒さんなのかな

沢山の方々がご参列されて

お坊さんのお経が始まりました。




私は新参者。

なので後ろの方に座り

皆さんを眺めておりました。



お坊さんの

読経がですね

早口なのですが

とてもなめらかなのです。




早口なめらか。




例えるなら

羽衣がユラユラ揺れているような

読経。



まさに

辯天さまのような

読経。






心地よい感じで

聞いていました。





上野不忍池の

弁才天さんは

音楽・芸事芸能を司る女神さま。




それがいつしか

財も叶える神様として弁財天とも

言われるようになったそう。





縁日法要が終わり
お坊さんの御話。


お盆の御話。





ここは
もともと聖天さんを祀られていたお社。
巳の日にしか
入ることができません。



普段は門が閉まってます。

江戸時代
琵琶湖に見立てた天然の不忍池。
竹生島に見立てた、ここ聖天さんの地。
竹生島の宝厳寺に見立てた八角のお堂。



感慨深いです。


昔の人は
ロマンがあります。




HPより
不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。
こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。





聖天さんにご挨拶後
足を伸ばしてみると
蓮があちこちに咲いていました。

ん?
よく見ると…


キジ?いえ、サギみたい。
(キジは黒い)



ダイサギ、チュウサギ、コサギ
の、どれかみたいです(調べたけどワカラナイ笑い泣き)




己巳の日に

善き事が重なった日日是好日になりました。




流れるままに。




不忍池辯天堂

に感謝して




 

 

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