ありがとう、わたしのあかちゃん | ☆na-naのだいじなものたち☆

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20代をHeySayJUMPと突っ走り、お金と時間を使って一番楽しいときに全力でおたくできたことは幸せだった。10周年を終え、30歳を迎えた今、これからを模索していく。




2024年2月10日、おなかの中にいた赤ちゃんが亡くなりました。

忘れないように書いておきます。


1月14日、妊娠検査薬で陽性が出て、ルナルナの生理予定日から数えて6w3d頃の27日に病院に行きました。

その時点で9ミリの胎嚢しか見えず、先生は初診だし問題ない、2週間後にまた見ましょうと言ってくれたけど、その時点で自分の中ではあ、もうダメなんだろうなと思い泣きました。

娘は同じ頃には心拍が見えていたし、つわりも始まってたのにつわりらしいものもなく。

排卵が遅れてたらタイミング的にも合わないので成長がとても遅い、むしろ止まってるのではと思ってた。

娘も初診まで「あかちゃん〜」って言ってたのに、何かを察してなのか言わなくなった。

大好きな寒川神社にも行ってお参りした。

「赤ちゃんが育ちますように」

とはお願いできなかった。

「赤ちゃんがもし生まれたら大切にするけど、もしダメだったら…幸せになれるよう、よろしくお願いします」

おみくじをひいたら、おさんのところに「安心せよ」と書いてあった。


妹以外には誰にも言えずひたすら2週間待ち、しかし出血もなく仕事の都合がつきそうな8日の木曜日の午後に病院の予約をとった。

そして8日の朝、いつものようにバタバタしてる中トイレに行くとわずかに出血していた。


「あぁ、やっぱりダメだったんだ」


血を見たら急に悲しさがこみ上げてきて、とても仕事できるメンタルではなく会社に休みの連絡を入れた。

その際電話に出た女性と上司に妊娠していたこと、でも出血が始まったことを涙ながらに話した。


病院で、妊婦さんに囲まれて待つのはとてもつらかった。

いざ診察台に上がっても、エコーのモニターを見ることができなかった。

でも先生から言われたのは

「このピコピコしてるのが心拍だよ」

びっくりした。

「まだ小さいから予定日はまた2週間後にわかるでしょう」

「初期の出血はよくあるから大丈夫。生理2日目ぐらいになったら来て」

「心拍確認できれば90%は大丈夫」

マイナスなことは言われなかったのに、もらったエコー写真のサイズ3.9ミリが引っかかった。

でもとりあえず大丈夫なんだ。

翌日出社して、話していた2人にとりあえず大丈夫だったけどまだわからないことを伝えた。

トイレに行くたびにペーパーに血がついた。

でもライナーにはほんのりつく程度で、よくあることなんだと気にしないようにした。

でも血が止まることはなく、夜になって生理のような色になり量も増えてきた。

怖くなってナプキンをあてたがそこにはつかないからまだ大丈夫だと思った。

明日になれば止まると思った。

でも今日になっても止まらず、むしろ本当に生理のような小さい血の塊も出だした。

病院の予約は今日はいっぱいで、どうしようか悩んだけどモヤモヤするのも嫌なので電話して午前中の最後に診てもらうことになった。

今日は実家に遊びに行く予定で娘も楽しみにしていたので、両親には事情を話す前に先に娘を実家に預けて旦那と病院に向かった。

道中おなかがズキズキしだした。

これは本当にもうダメなやつだと感じた。

病院に着いて診察室に入ると初診で見てくれた先生だった。

「出血増えちゃったか…ここまで頑張ったんだけどな…見てみましょう」

診察台の上でも血が垂れてるのがわかった。

先生が見てくれて、しばらく無言が続き意を決してモニターを見た。

あぁ心拍ないなと自分でもわかった。

「赤ちゃんはまだいるんだけど、心拍止まってしまってるね。流産が始まってる」

サイズも前回より小さくなっていた。

あのとき、最後の力を振り絞って私に心拍を見せてくれたのかと思ったら涙が止まらなかった。

降りてカーテンの中で1人着替える間も涙が溢れて、なんとか落ち着こうとするも奥で助産師さんが鼻をすする音がして余計に泣けた。

診察に戻り、先生は

「6回に一回はあることで、病院は何もしてあげられないんだ。とりあえず自然に待って週明けまた診せに来てね」

と言われた。

最後に写真をもらった。小さい小さいわたしのあかちゃんだった。


今はまだつらくて涙が出るけど、悲しいのもあるけど。

最初からとても小さく絶望的で、でも心拍を見せるまで頑張ってくれて

ちゃんと、たしかにここで生きてたよって教えてくれて

連休初日の今日朝から知らせてくれて

ずっと大丈夫なのかモヤモヤ不安だったから知れてよかったし、その後娘を迎えに実家に行って両親に話せてスッキリできたし

出血と痛みもあったけど実家で母と他愛のない話をしてるときだったから気も紛れて

ナプキン崩壊してやばかったけど娘のおむつ加工して実家の自分の毛糸のパンツを装着してなんとか家に帰ってこれた。

平日、それこそ仕事中だったら大パニックだったと思う。

なんて最後まで親孝行の子なんだろう。

ありがとう。わたしのもとに来てくれて。

聖地の神様にお願いしたから、おそらにいっても寂しくないよ。

わたしも早く立ち直るね。





この子は初診後にテディベアミュージアムからあかちゃんを想いながら命を吹き込んだくまちゃん。


娘が同じ種類のうさちゃんを作ってくれた。寂しくないからね。