▲こちらは、後期型零戦の燃料タンクの配置ですが、特徴として、②の外翼部に燃料タンクが増設されている事で、これは32型で不足してしまった航続力を回復させる為に、22型より採用されたものです。

零戦は、基本的には艦上戦闘機なので、広大な洋上で作戦行動に当たる為、航続航続距離及び滞空時間に影響する為に多くの燃料は欲しい所ですが、とかく短いと言われる32型の航続距離が特別に短い訳ではありませんでした。


32型は、高速性に優れた欧米の戦闘機に対し、スピードにはスピードを以て対抗するとの目的から開発された訳ですが、この32型が登場した時期は、折しもガダルカナル島での航空戦と重なり、21型より減少した航続力がラバウルからの進出に難有りとされ、航続力を回復させた新型…つまり22型の登場が急がれる事になりました。
しかし、ラバウルよりガダルカナル島に近い位置のブーゲンビル島のブインに飛行場が完成し、22型の必要性は薄れてしまうのですが、その新型の登場に依って、32型は短命に終わってしまった背景が有ります。
ブインからガダルカナル島へ進出すると、32型でも現地で一時間の空戦を行なっても帰還出来たので、実に勿体無い話しです。
速度性能の向上を狙って主翼長を短縮し、翼端形状が角型となった事が特徴の32型は、そのシルエットから、連合軍には零戦とは別の新型機と認識され、コードネームも『Zeke』や『Zero』ではなく、『Hamp』でした。
連合軍は32型を『ゼロよりもスピードが速く、高速時の運動性能も機敏であり、要注意の機体』と評価していただけに、この時期に最適な零戦は、21型に回帰してしまった22型ではなく、32型だったと言えるでしょう。


この32型は、色々と特殊な生い立ちも持ち、後に登場する22型甲が搭載した銃身長が長い20㍉機銃や、30㍉機銃を搭載したタイプもラバウル向けに造られました。
当初は、エンジンが零戦21型の栄12型から栄21型に変更になった為に、現地の整備兵がメンテナンスに慣れていない時期も有ったので故障も多かったのですが、実力を如何無く発揮出来たなら、後の52型に迫る性能を早期に発揮出来ていたのではないか…とも言われています。
32型は急降下性能も、52型と同等だったのです。
又、翼端形状を空気抵抗の大きい角型から、楕円形へと整形して改良する必要性も設計者は考えていました。
それが誕生していたら、ほぼ52型のプロトタイプでした。



さて…22型から主翼の外側に燃料タンクが増設された訳ですが、空戦で最も被弾し易い場所は主翼です。
普通に考えたら、そんな場所に防弾…つまり防漏も施されていない燃料タンクなんて設けられたら、乗って戦う立場からしたら『殺す気かっ!!』と怒りたくもなりますが、そう思った搭乗員も少なからず存在した様です。
その22型をベースにして開発されたのが52型ですが、ここで誤解をしている方も時折り見掛けます。
それは…
『52型からは、主翼燃料タンクに自動消火装置が装備された』
…と言う事です。
52型で自動消火装置が装備されたのは、後の52型甲となってからです。
なので、単なる52型は、前タイプの22型と何ら変わる事が無く、燃料タンクに敵弾を受けて火災が発生してしまった場合は、ほぼ万事休すで、急降下で消化に成功するのは稀でした。
又、例え自動消火装置が装備された52型甲以降であっても、戦争末期は物資の不足に依って、消火剤となる二酸化炭素が充填されない場合も多かったと言う事でした。



そして、搭乗員を守る装備についてですが、こちらも52型以降となってからの装備となります。
32型と同様に、何かと評判の悪い52型丙では、防弾硝子や、操縦席の後方に防弾鋼板を備えましたが、燃料タンクに関しては、残念ながら最後まで自動消火装置のみで、構造的な問題とゴム等の材料の問題で、結局、零戦の防漏タンク化は最後まで実現出来ないままでした。