ギジリの方言について考えてみた | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

はい、今日は小ネタ

もしも、ギジリがカガチジンのまま言葉を話したら・・・という

細かいことを思いついてしまいましたので

ちょいと考察してみました


休み中の考察なので、かなり本調子ではないですが

箸休めの考察として読んでいただけると幸いです



今回はまず、四つ仮名という考え方からみることにしました


ジとヂとズとヅこの四つの仮名のことを指します

これらは音が近いので

書くときの言葉や音が入れ替わってしまう特性があります


例えば地という文字は「ち」というのが普通で

地球「ち」きゅうとなるのが地面「じ」めんとなるように

ヂとジがこんがらがるわけです

そのほかにも鼻血のはな「じ」やほおづきのほお「ず」き、

恥のは「ぢ」近々のちか「じ」かなどなどあります


この混同具合は地域差があり

ジ=ヂ=ズ=ヅとなる地域

(主に東北、北海道に分布、いわゆるズーズー弁になるのはこの為)


ジ=ヂ≠ズ=ヅとなる地域

(日本各地に分布、今日では他の地域でもこの傾向になりがち)


ジ=ヂ≠ズ≠ヅとなる地域

(大分の一部のみ存在している言葉)


ジ≠ヂ≠ズ≠ヅとなる地域

(主に大分、福岡の一部以外の九州地方と高知に分布)


この四つに分かれることになるわけで

ある程度言葉の区別がつくことが可能です


なお、この分布はテレビラジオの普及で言葉の標準化が進み、

今ではお年寄りの言葉でしか聞くことができない部分もあります



で、カガチとヤマジの語源について考えると

元々は目に見えない巨大な自然の力という意味の

古代大和言葉である「ち」と考えられます

今の言葉に直すと、カガチ=蛇の力、ヤマジ=山の力となります

ここでヤマジの「ジ」をみると、

「ヂ」の音と混同していることが分かります


よって、ここで九州地方の言葉以外なのがまずわかります



次に実際に話しているところからの考察ということで

マシノワのドラマCDの言葉を聞いてみると


ギジリの父親の訛り方や(Disk1-1 5:48~等)

ミナワの訛り方(Disk1-1 10:53~等)を聞くと

(ミナワには関西方面のアクセントがあったりするので

不完全なところもありながらも)


ズとジをわざと同じようにしゃべるように聞こえるので


ジ=ヂ=ズ=ヅとなる地域

つまり主に東北、北海道地方の訛り方を模しているのが分かります



次に東北地方のどのあたりにあたるかという考察


これはギジリの名前にヒントだと思います

ギジリの語源について

元々は囲炉裏の座る場所の「木尻」(きじり)という場所から来ています

ここでいう尻とは、端っこという意味です

(同じ語源として、野尻、目じりなどがある)


これが木尻から居た囲炉裏の写真

(リトルワールドの遠野の家の写真より)

下のくべてある囲炉裏の大きな木が燃えずにあるのがお分かりでしょう


後ろには土間にあたるので風通しがよくむちゃくちゃ寒かったですw


囲炉裏の座る位置はそのうちの中での地位ごとに決められており

木尻は一番下のものが座る位置でした

そして、木をくべる位置にいて、

常に木の端っこが向く位置なので木尻と名付けられました



でもって名前の方を見てみると

きの音に濁音がついているのが分かりますね

東北、北海道の中でもか行の音が濁音になる地域というのは

限られた地域の中なのが判明いたしました


それがこちら


これを見ると秋田の一部、岩手全域、青森の八戸が

この方言に当たることが分かりました



この地域で思い浮かぶ地域で、関連があるのが

Zektbach殿が参考にした遠野物語の舞台である岩手県遠野市も

キジリをギジリと呼ぶ可能性が高いということが分かりました


なので、ここでの結論といたしまして、

ギジリ初めとするカガチジンの訛り方というのは

東北の岩手の言葉がベースになっていると考え

まとめとさせていただきます


今後の課題として、遠野の人がほんとに木尻を「ぎじり」と

か行を訛った状態で言うかを調べてみたいですね


もしも、カガチジンのことを書く人が居ましたら

岩手の言葉を意識するとリアリティが出るのではないでしょうか



では、大人になったギジリをはじめ

小さいころのギジリが訛らないりゆうも触れておきますと


訛り=地方の言葉=下賎の言葉という文化があります

今でも東北の言葉が田舎を連想できるのは

都から最も遠かった地域のことばで

なおかつ実際に地位が低い農民がしゃべった言葉として

間接的にこのことがあるからです

ギジリはカガチの言葉を使いたくなくて

一生懸命塀越し聞いて覚えたのだと思います


また、国々に分かれていた頃だと、

その国ことで言葉が話されていて

何言っているのかわからないという自体も頻発していました

鎌倉時代以降には地方から来た武士が

貴族から京言葉を覚える家庭教師的なものがあったというので

言葉の問題がいかに根が深かったのか推し量ることができますね


京言葉=ヤマジの言葉と置き換えると

カガチからの脱却には言葉を言えることが必須で

また、ミサクヤにいろいろ話しかけるのにも

できなかったと考えられます



以上でございます

言葉一つでいろんな歴史があるのですね

私は方言が大好きで、

むしろ訛ってくれていた方がありがたいぐらいです

八戸の方が知り合いにいるのですが、

その方のこえをまだ聞いたことがないんですよ

もしかしたらギジリの訛り方がきけるんじゃないかな?と

内心興味があるんですよねw


いっそのこと八戸はもとより遠野に言って研究してみたいものです