はい、正月早々から真面目考察いきます
発売前に終わりたいんで触れてみたいと思いますんでペースは早めになります
なお、考察につきまして、
Zektbach殿本人及び、KONAMIとは関係なく
非公式なものです
考察に嫌悪感がある方は速やかにお引き取りして頂けるようお願い致します
また、解釈は色々と成立しますので、ここでの考察はあくまでも一例です
・・・宜しいでしょうか?
では、参ります
さて、今回は山神です
マシノワの新曲で比較的穏やかな曲となっています
試聴版はこちら
http://www.konamistyle.jp/sp/zektbach_masinowa/index.html#list
(ほんとは全部聞ける所もあるんだよね、ゴニョゴニョ・・・)
さて、山神の文章の表現からみてみると
神道の祝詞(のりと)というものが一番近いと思います
よって、山神の考察に関しては、
以後、山神の歌詞を祝詞と見なして考察します
さて、改めまして祝詞とは、
日本の宗教神道にて、神の徳を称え敬う意を表する内容を
神の前に奏上し加護や利益を得ようとする文章です
正月参賀日や初宮の時に、神社の中で宮司さんが
「かけまくもかしこみかしこみもぉ~さく」と唱えていたあれです
祝詞は「のりとこと」と呼ばれていました
古事記では天照大神が天の岩戸に隠れてしまう事件に
布刀玉命(ふとだまのみこと)が「布刀詔刀言(ふとのりと)」を唱えたとあります
(ふとのりととは、立派な祝詞という意味)
祝詞の語源は宣(の)る+言(こと)という説があります
宣るは告るとも書き「(口に出して)宣告する」という意味があります
ことは「言葉、物」に通じて
二つを総じて、神の意思を伝える言葉です
古来の日本では言霊(ことたま)文化が花開いていました
言霊を簡単に言うと、
「言葉には神秘性があり、口にしたことが実際に起こる」
という考えです
良いことを口にすれば、良いことが起こり、
悪いことを口にすれば悪いことが起こるというわけ
遥か昔から「言霊の幸ふ国」という言い回しがあり
磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ 真幸くありこそ
と万葉集に和歌があります(13巻 3254)
大まかに訳しますと
大和(日本)の国は、言霊によって助け給う国です
ご無事でいらしてください
・・・というのが残っています
また、土佐日記でお馴染みの紀貫之が
古今和歌集の冒頭にこんな記述をしています
和歌は人の心を種にして万の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、言、業しげきものなれば心に思ふ事を、
見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり
花に泣く鶯、水にすむかはづの声を聞けば、
生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、
猛けき武士の心をもなぐさむるは、歌なり
大まかに現代語訳しますと
大和歌というものは心を種として、葉が生い茂るように言葉が出てくるものである
世の中にある人、言葉、行動などから感じることや
見たり聞いたりして思ったことを表して口にするものである
花にとまって鳴く鶯や水に住んでいる蛙のように、
人だけでなく生きとしいけるものすべてが、歌を詠んでいる
力ひとつ入れないで天地にいる神々の心を動かし、
目に見えない死者の魂をしみじみと感動させ、
男女の間柄を親しくさせ、
荒々しく果敢な武人の気持ちさえも和やかにするのが歌である
と書き残しているわけ
このように日本の言霊は特別視されていました
ことさらに神に向かって言う祝詞において、
言霊は重要視されています
山神の歌詞の部分を見ていると、
普通の古語辞典には載ってない言葉も多々あります(宇豆の幣帛など)
それもそのはず、日本語でもかな~り古い言葉の
大和言葉(やまとことば)だからです
古すぎて、普通の古語辞典では全てが載っていない可能性がありますので
ご自分で調べられる場合は、そこのところを留意してくださいませ
これは、古から伝わる言霊を表していており、
また大切に伝えてきたという表れと考えられます
大和言葉の特徴として、
文字は中国大陸から入ってきた漢字を当てられていますが
いわゆる訓読みが基本で、当て字となる場合も多々あります
また、昔は濁音、半濁音(「゙」「゚」)は無かったようで、
基本的には含まれておりません
ここで祝詞の唱えかたについて触れておきますと
祝詞は大きな声で呼び掛けることはありません
むしろぼそぼそと読み上げる事がよしとされていました
これは神が目の前におり、一対一のやり取りであることから由来しています
なので、ウィスパーボイスで歌われている山神は
祝詞の唱えかたに習っていると考えられます
さて、祝詞の基礎知識を書きましたので
今度は祝詞の構造をみていこうと思います
祝詞とは言霊をもって神と人を繋ぐ言葉です
神の言葉を人へ伝える祝詞(宣命体)と
人が神へ祈りや願いを伝える祝詞(奏上体)の二種類あります
文章の最後に「~宣(の)る」(~と(口に出して)おっしゃられる)と終わるのが宣命体
「~白(まう)す・申す」(~とお願い致します)と終わるのが奏上体と見分けます
元々は祝詞の語源にあるように
神々や神の末裔である天皇の言葉を口に出して伝えることが元で、
宣命体のものの方が古いです
そして、時代が経ち、神の祈りに祝詞が使われるようになり
今では奏上体のものが大半となりました
よって今神社で聞く祝詞は
「かしこみ~かしこみ~『もぉ~す~』」 と聞くのが多いのではないかと思います
山神の歌詞の場合、「~宣る」「~白す・申す」と記載されていませんが
神の名(御身不死様、国津姫)を呼び掛けているので
奏上体であるて考えられます
つまり、この歌は神々の前で人がお願いした唱えた歌であるというわけ
次に祝詞の内容についてです
祝詞の内容というのは
上司のうちに訪問しに行った時のような雰囲気があり
また、手紙の書き方にも似ているとも言われています
そこには日本人が持つ相手を敬う言葉と心遣いが宿っているとも言えます
なお、こと細かい解説は後々の考察にまわしますので、
大まかな流れをここでは書いていきます
まずは神の名を呼び掛けています(発端拝詞文)
自己紹介にあたるものです
「掛けまくも畏き御身不死の大前に」を現代語っぽくすると
歌いだしの「古より 美不二に坐す 御身不死様よ」という風になります
神様が目の前にいるという考えが祝詞の前提にいるので
(*゚ノO゚)<オオオオォォォォォォォーーーーーイ!
・・・と叫ぶイメージではなく
壁|*'ω')r)) ネェネェ
と優しく語りかけるイメージです
なお、厳密に言えば「国津姫よ」についても
呼び掛けに入っていると考えらますが
ヤマジジンの世界観では、オミフシサマという上位の神があって
それに仕えるクニツヒメミコ(=アメノウズメ)なので
呼び掛けする程度なのかもしれません
続く「永えなる 廣く厚き 御恵 給ふ」
というのは、お礼と敬意を払う言葉です(感謝文)
いつも真にありがとうございますm(_ _)m
というニュアンスです
「禍事 穢れ 御禊祓へ 尊き 御名を 奉りて」
というのは、場を清めましたので、
今からお祭りいたしますよという
お祭りの開催の由を伝える言葉です(目的文)
次にその神が昔何を行ったのかとかをいうことを書き記しています(由縁文)
「國造りて 伝へ語り 救ひし業に
国津姫よ 神留まりて 弥栄にとぞ
災 罪も 不在物と 種種 清め 賜事を」
という部分です
ここには神話が語られていることが多く
端的に言えば、叙事詩の要素が含まれています
神の偉大さなどを誇張するとともに
その民族の歴史を語り継ぐ部分です
祝詞は叙事詩に比べれば呪術的です
なお、合格祈願などのお祈りごとなどは
この部分は端折られている場合もあります
おもに例大祭などの祝詞ではこのいわれをうたっていることが多いので
耳を傾けてみるといいかもしれません
そして、神様に捧げものをしましたという報告をします(献供文)
物をささげたり、神楽を舞うことで奉納をしています
山神の場合
「畏きなる大前に 綾も 瑠璃も 麗しく
捧ぐ 宇豆の 弊帛 祝奉らんと」の部分になります
綾とは模様を織って作った絹のこと
瑠璃とは今でいうガラスのこと
幣帛(みてぐら)とは神が宿る紙のことです
(なお、歌詞の「弊」は「幣」の間違いと思われます)
これらを神様に捧げますよと言っているわけ
ここまで来て、よやくお願いごとを言います(祈願文)
「千代まで 萬代まで
一二三四 五六七八 九十
豊かなる 五穀 大いに実らせ」
簡単に言えば
ずーーーーーっと実り多い世界でありますようにといっているというわけ
最後に「遥かなる 神の世の 物語なり」 と結ばれています
本来ならばここで再び神(御身不死様)に再び拝しますが
山神はその法則には則ってないようです
以上が山神の文章を祝詞っぽく考察した場合のものです
これを神様の手紙っぽく置き換えてみるとよくわかるかと思うので
参考までに記しておきます
拝啓、昔から美不二にいらっしゃいます御身不死様へ
長い間、あなた様へ恵みを頂き誠にありがとうございます
この場をお祓いいたしまして、祭事場を作りました
マシノワを建国され、我々を御救いになられた時に
御身不死様は国津姫様の元においでになられてますます国は繁栄なり
災い、悪いことなどの必要ないものを清めて頂きました
御身不死様の目の前に
綺麗な布やガラス、立派な幣帛をご用意し
お祝い奉ります
千代に、万代にまで続くように
末永く穀物をたくさん実らせてくださるようお願い申し上げます
敬具
・・・というわけで今回はここまで!!!
これ書くのにどえらげなくかかってしまいましたw
日本語でOKといいたいけどこれは日本語だwww
大和の言葉にはとても深いものです
やわらかい言葉はいいですねぇ・・・
紀貫之さんが言っていたように
日本語のもつ言葉の豊かさを触れて心がほっこりしてしまいました
なお、この祝詞を学んだおかげで、
神社に行った時に何を唱えていたのかということが
多少わかるようになりましたwww