Zektbach殿がTOMOSUKEさんに憑依したようですw | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

まずはこちらをご覧下さい

ともろぐ さてさて、2009年です

http://mp.i-revo.jp/user.php/tomosuke/entry/68.html


朝起きて珍しくともろぐが更新していると思っていたら・・・

・・・Zektbach殿の話ですか?!

というよりも、いまさら新年の挨拶www


・・・まぁ、年の初めはゼクトさんとコンタクトを取りっ放しとか

ポップンの新作の佳境とかで地獄の日々を送っていたんだろうと思うけど

ようやく落ち着いて長文を書ける様になったということかw



ちょこっと中の人のことに突っ込むので

何となくルール違反の気分になりますけれども

この文章を読んでいると、

ともちんがZektbachという存在を分離していないないほど

この久保田修さんとのコラボが嬉しかったんだなぁ・・・ってw


一年ほど前に書いた叙事詩の一部の時も(今となっては消されてる・・・)

郵便受けとかで発見したといって他人の様に振る舞い、

公式でニョアという存在を生み出して、直に通さないし辺りにも

Zektbachという存在(あるいはその時の人格?)を大切にしていると思っていた


このアルバム作成はある意味で転機かもしれない

最も初期のアポカリの曲コメのように

要はオノレコスモの人がDistorteDしたらこうなったわけである。

・・・と最初の頃は自嘲気味に書かれていたし、

もっと遡って「オノレコスモ」の時も

まるで自分の中の世界を大切にしながらも受け入れられない悲しさとか

読んでいてすごく感じたものです


でも、私のような人たちに支持されたりとかして認められ、

このように公式ページを作る運びとまでなったんだし、

自分の中の世界が大分変わったんだろうな・・・



・・・こんなに当人の事論じてすいませんね

あくまでも私がそう感じたという話でございますのでw


ただこの文章に大きく何か私自身突き動かされるものがありまして・・・

たかが文章、されど文章

書いた文や文字にはそれぞれ思ったから書いていると

長い間本を嗜んでいると何か感じちゃうんですねw