ゼクトバッハ叙事詩 Apocalypse 歌詞考察Ⅱ | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

ようやくまとまったぁあ!!!(`・ω・´)b

一週間本漬けして考察したアポカリのまとめです。

・・・て言うか前回の補充になっちゃいました。

主に旧約聖書との関連を中心にまとめてあります。

理由はTO・・・じゃなかった。Zektbach氏がこの楽曲が旧約聖書を元にかいた曲というコメントがあるからです。(IIDX13のアポカリのコメより)


これはあくまでの一ファンがやることという事をお忘れなく

これを読んで不快になられる方は引き返すことをお薦めします。



まず曲名のことについて

前回はApocalypseの部分に触れていなかったのでそこの補充

アポカリプスとは日本語訳で『黙示録』と呼ばれる聖書の一種。

この世の終わりとキリストの再来を、筆者が幻で見たという(設定といったら少しおかしいが)で書かれているもので、象徴的に書かれているそうです。

しかし、本来の意味は『啓示』が元々の意味だとか。

なので教会のステンドグラスとかの題材になったりオカルトの方向に走っちゃったりしているみたいです。


前回の考察を踏まえて曲名だけ見ると、これは『神がこの世の終わりにさせた時の歌』ということかな?



歌詞の方で薔薇の件についてですが、なかなかこれって言うものがない・・・OTL

薔薇と一言、聖書の中に書かれているだけでも実はものすんごく範囲が広いことが判明。

しかもその中には薔薇と書かれているのに薔薇じゃないものも含まれている(エリコの薔薇という)なので一概にこれって言うものがない・・・

でも基本的な意味は『美、喜び、青春』をもつものというのはいえそうなのでそこからとりあえず考えてみることに。

そうすると薔薇=アンネースってことだよね。

それを自ずから身を削って入っていくっていう感じなんだろうな。


涙と血の部分は争いとかなんとかそういう感じなんだろうね。

海になるぐらいの涙と血から連想できるものがそれぐらいしかなかった・・・


そして最後に『私は祈り続ける』

修道士のアンネースが神に仕えているって言うことでの意思表示と思います。

修道士というのはこの世の世間から離れて暮らしているので、欲ばっかの世界に飛び込んでも貴方を信用し続けますという感じだと思います。


ですが此処の部分は次の連に掛かるようです。

訳す時も本当にこっち側でいいのかぁ?とかなり悩んだ。

でも最後の時の歌詞が乗っているときにはこっち側だったのでこっちに合わせました。

彼女の気持ちが関わってくるところだからなのかな。

修道士とかそのへんをじかいはしゅちゅうてきにやる


・・・とまずは一連終了

たしかこのパートの部分は確か『覚醒前の少女』とDormirのくりむ嬢がzektbach氏に言われたとかでブログに書かれていたな・・・(といってもmemento moriのときだけど)


まとめ

・この世が終わる事が世界中伝わっている

・そんな中でアンネースは戦いに行く。神の祈り続けて


次回はアンネースの気持ち考察(という妄想的なこと)をやろうかなと思います。

修道女なのでそういう系の本を又借りまくって読み直しだな、うん。

ですが、此処はこうじゃないとか、この意味間違っているとかあったら一報くださいm(_ _)m


長い文でしたけどここまで読んでくださってありがとうございました!!!



参考文献

旧約聖書ものがたり ISBN4-422-21042-4

総説・図説旧約聖書大全 ISBN4-06-212100-X

早わかりキリスト教 ISBN4-534-03963-8

聖書の植物物語 ISBN4-89586-021-3

世界一分かりやすい聖書入門 ISBN4-89346-876-6