『次世代への感性』エリゼ条約締結 50周年 | 映画と本と古町散策日記

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エリゼ条約締結 50周年。

今年のフランスは『フランス・ドイツ年』だそうです。
こういう話を聞くと
フランスやドイツって、未来志向というか建設的。
つくづく うらやましい。

私、フランスの事をよく書いてますが
ほとんどのパリ人は苦手、店員の無駄話待ちの行列とか
おおむね外国人に失礼だし
外国語話さないし、ド・ゴール空港やホテルで
ブチ切れした友人も
何人では済まない!
(そうしないと、ダブルブッキングでも無視されかねないもんね♪)

関西で言うところの
ちょっと京都人に似てますよね。

と良いながら、これだと
自分の首を絞める事に(;´▽`A``

だからフランスに行くときは、南のニースとかアルルとか
パリ以外に行きたがり、友人 家族を困らせたりしてますが、

やはり、魅力的。

ところで

両国の高校生は、共通の歴史教科書で
学ぶんですよ!

ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)/ペーター ガイス








エリゼ条約というのは、簡単に言うと


1962年 1月22日
コンラート・アデナウアー首相(独)とド・ゴール将軍(仏)が
結んだ第2次世界大戦後の和解条約です。

もともとは、和平に向けての文書通達に過ぎなかったため
全19条と簡潔で、多くの協力事項について
後日取り決める枠組みを記したものでした。

一番は 「フランスとドイツの和解を確認する事」
二番は 「両国間に芯の友好関係を築く事」
三番は 「両国民の目標である一体化したヨーロッパの建設」

協力領域を外務、防衛、教育・青少年の3分野に集中させた
現在の「仏独青少年事務所」の基礎を築いた条約です。

世界史に詳しい方は、ご存知の事と思いますが
この2国は、何世紀も宿敵という意識の中で
悲惨な争いを繰り返し、特に第2世界大戦のナチス統治下のドイツによる
フランスでの罪は、非常に深刻なものでした。

国民の感情的には
ドイツ人の恋人がいた多くのフランス人女性が
丸坊主にされ、街道でさらし者になるような時代です。

この首脳両名の決断と勇気に
それを受け入れた国民の知性
心からの賞賛を送りたい。

フランスの首都は
今も多くの人のあこがれのパリです。

一度、ボルドーへ移しています。
ナチスの侵攻によるものです。

当時 防衛が消極的であったため
周辺国の軍備増強の忠告を受けながら
ドイツを刺激する事を恐れ
積極的な防衛、軍備の増強を避けて来た結果

フランスは、パリを明け渡す以外に
方法が無くなっていました。
ナチスは、無血入場を果たします。

当時のフランスは、
政変が日常茶飯事で、国として
機能しきれていませんでした。

(ここまでは なんだか、最近の日本に似てますね。)

つづく