最近、人の嬉し涙を見る機会が多くて。

いいなぁ、と思う。


私は人前でなかなか泣けない。


特にいい話を聞いてじーんときても、

サプライズでお祝いしてもらって

嬉しくてテンションが上がることはあっても

涙が溢れるという感情までは辿り着かない。



私は人前で嬉し泣きがしたいのか?

たぶん、そういうことではない。

じゃあ、なんで嬉し泣きをする人を「いいなぁ」と思うのか。



「こんな一面があるんだ」と周りの人がその人のことをより好きになるから。


逆に嬉し泣きができないと周りの人に「冷たい」「サプライズしてるのに喜びが足りない」と思われてしまうのではないか?という不安。



と周りの反応を気にした理由もあるけれど、

「嬉し泣きができる人は『嬉しい』『喜び』というプラスの感情へフォーカスできているから」というのがいちばんの理由だと思う。



学生時代試合に負けた時、

仕事がうまくいかなかった時、

夫と喧嘩して自分の考えをうまく伝えられなかった時、

私は悔しくて泣く。


引っ越しで友人と離れた時、失恋した時、

私は悲しくて泣く。



たぶん、私は「喜怒哀楽」の「怒」「哀」の感情にフォーカスして生きてきた。

だから悔しい、悲しい時はすぐに感情のコップが溢れて涙がこぼれる。



一方、喜怒哀楽の「喜」「楽」に対してはどうか?

「楽しい」や「喜び」はもちろん感じて、その場で目一杯表現していた。

ただ、その感情を繰り返し思い出して再びその瞬間に戻るということはしてこなかった。

一瞬一瞬は楽しんでいても、その時間が終われば「はい、終わり。」で余韻に浸ることがなかったように思う。



悔し泣きや悲しくて泣く時、私は

その時の状況を頭で反芻しながら

「なんでここでこうしなかったんだろう」

「なんであの時、こういう言い方ができなかったんだろう」と考える。

過去の状況に自分を戻して、繰り返し考えている。





楽しい時、喜びを感じる時もそれをすればいいんだ!


余韻に浸る。


楽しかった状況に自分を移動させて、何が楽しかったのか、どんな言葉が嬉しかったのか。

書き出してみる。


わくわくしてきた!



よく日記にはプラスのことを書くといいと言われるけれど、しっくりきていなかった。

嬉しかったことなんてあったっけ?と考えて手が止まる。


後から書くことを意識して、

「今楽しい!」と思った瞬間にその状況をスクリーンショットしておくイメージ。

その状況を逃さずに掴んでおく。


そして翌日の朝、その掴んだ状況を思い返して、余韻に浸る。

嬉しかった要因を深掘りする。



ようやく日記のコツが掴めた気がした。




プラスの感情にフォーカスしたら、

きっと考え方もプラスになって、

感情表現も簡単にできるようになると思う。




私のずっと先の夢は決まっていて、

いつもニコニコ周りを笑顔にするおばあちゃんになりたいんだ。

今のままだといじわるばあさんみたいになってしまうから、「あのおばあちゃんうっかり屋さんでアホだけど毎日楽しそうだな」って思ってもらえるおばあちゃんを目指す。