ラナコラムは「小さなおうちラナ・コローレ」の会員家族に配布しているお手紙です
個を育てるモンテッソーリの目線を大切にしながら、日々想ったことなどをつらつら書いています。
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ラナコラム⑳『敏感期を知るということ』
今回のお話は【敏感期】を知るということ。モンテッソーリ教育には【敏感期】という考え方があります
子どもたちが成長の過程で『ある物事に敏感になり、夢中で取り組むことで難なく習得できる時期』のことです。
わかりやすく言うと、歩き始めたばかりの子どもたち。何度転んでもやめることなく毎日一歩踏み出そうとします。そのうちハイハイよりも歩く頻度は増え、いつの間にか歩くことを習得していくのです…
私たち親はその様子を転んでも休んでも無理矢理に歩かせることはなく、見守り喜んで待っていたと思います
このようにひとつの物事に夢中になる時期を【敏感期】と言います。様々な物事に対して敏感期は現れます。モンテッソーリ教育を考案したマリア・モンテッソーリさんは、子どもたちを観察し続け、成長の過程で何歳頃にどんな敏感期が現れるのかを
研究していきました。
私のお伝えしている〔おうちでできるモンテッソーリ講座〕を受講してくださった方は、ほかにいくつかの敏感期があることをご存じかと思いますが、子どもたちは自分に必要な育ちを知っていて、その事柄を習得したくなった時に敏感期として現れるのです。それを【自己教育力】と言います
と、言うことは…。子どもたちの学びたいというサインを見つけることができると、私たち親はその部分をサポートできるということです
逆に言えば、学びたい時ではないのに大人の想いや感覚だけで『学ばせたい』ことを選んでやらせても、習得するのは簡単ではない…ということなんです
私は、今の教育界は《不安産業》だと以前から思ってきましたテレビやネットで不安を煽り、○○を習得するには〇歳から!!などと宣伝するので、親御さんはそこに一生懸命になりますお友だちもしているからやらなきゃかな?と心配になることもありますよね
果たしてそこに子どもたちの『やりたい』『学びたい』はあるのかな?と疑問になります。『学びたい』というのは勉強的な意味合いではなく〔できるようになりたい〕という意味です。
ラナコロでは何歳だからこれをやってみようと子どもたちに紹介することはありません。ひとりひとりの敏感期や普段どんな風に過ごしているかで関わり方は変わります。
子どもたちが何をやりたいと思っているのか、大人にどんな関り方を求めているのかを観察します
それはひとりひとりみんな違うからね。手をかけてほしいと思っている子、ひとりでやりたいからそっとしておいてほしい子、本当はひとりでできるから任せてあげたほうがいい子…サポートする部分もみんな同じことはないので、とにかく観察。
敏感期を知っていると、その部分には手を出さずに見守ること、できるまで待ってあげられる心の余裕ができるかなと思います
0歳から6歳くらいに現れる敏感期は、ほとんど日常生活のことです。ぞれは【自分の意志の通りに動く身体を獲得したい】からです。
自分の身体が思ったように動かないから、子どもたちは泣いたり癇癪を起したりするのです。大きい人の真似をしたくて、パパママや上のきょうだいのようにやってみるけど、身体が育っていないので難しいことが多いのです
…そう考えると、何度もやればうまくなるのはわかっていることなので、できるようになるまでやらせてあげればいいんですそこを「まだできないね」と取り上げてしまったり、代わりにやってあげることは《育つ部分を奪ってしまう》ことにもなるかもしれません
モンテッソーリ教育には【子どもができないのは、やり方を知らないから】という言葉があります。《できない》と決めつける前に、やり方が理解できるかな?できる身体が育っているかな?と我が子を観察してみてください
教えるときはね、ちょっと気合がいるかもしれません。付き合うのにも気合がいるかもしれません。
でも敏感期に付き合えると、子どもたちは楽しく獲得し心も育ちます
育つ部分を代わりにしてあげていると、後々、大人がさすがにできるようになっていてほしい!と思う時期には獲得が大変だったり、親にやってもらうのが当たり前になっていたりすることがあります。
子どもたちの《できる力》を信じて、自分のことが自分でできるようになる【日常生活】を少し観察してみるのはいかがでしょうか
オムツたたんでくれてありがとう
…次号へ続く れなねぇ
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