先日実家へ帰省して見つけたのは、小学生のときの通信簿。懐かしいと思いながらめくってみると、先生は何とか褒めるところを見つけて書いてくださっているのに、父はといえば…
「情緒不安定」だとか「気が強くて弟妹への思いやりに欠ける」「乱読ばかりで何度言っても読書ノートを付けない」とか、少し辛口。
まあ、そんな子どもだったような。
小学生の頃、手元にあって繰り返し読んだのは
『良寛』
裕福な家に生まれたものの、あまりにもぼーっとしていて、周りの人からは「昼あんどん」と呼ばれていた。老いてからは村の子どもたちとまりをして遊んでいた良寛。そんな良寛に、私は子どものころから親近感を持っていました。
学生時代や若かった頃、もう少し華やかな世界に憧れたこともあったし、違う自分になりたいと思ったこともあったけど、結局馴染めなかったし、上手くもいきませんでした。
少しばかりの経験をした今は、目の前のことに私なりのペースで取り組んでいけばいいのだと思っています。足の裏に地面を確かめながら、私の体重を感じながら。
そんなことを今思っているのも「室生犀星詩集」を読んだからかもしれません。
私生児として生まれ、貧しさのため12歳から裁判所で給仕として働き始める。結婚して子どもも生まれるが、幼くして亡くなってしまう。
近所の家の子どもは笑っているのに
自分の腕の中は空っぽ。
子どもを亡くした、いくつもの悲しみの詩が
胸を締め付ける。
寂しさ、切なさ、やりきれなさ。
そんな想いが詰まった詩集なのだけど
身体の内側から静かな力が湧いてくる
詩集でもある。
どんな状況であっても室生犀星は
誠実に精一杯生きたのだと思う。
先きの日
わかれてゆく毎日
毎日にあつた思ひ
誰も知ることのない思ひの渦が
背後に音を立ててながれている
思ひはもはや悲鳴をあげない
ただ、ながれて往くだけだ
(略)
けれども先きの日がきらめいて
何が起り何が私共を右左(みぎひだり)するか判らない
また先きの日のおぼしまに
誰かが思案に暮れ 待ちわびているかも判らぬ
先きの日を訪ねて見よう
何処かにあるはずの先きの日