先日は今年最後の読書会でした。

テーマは“今年読んで面白かった本”


初めての批評文を書くために

何度も読み込んだ『星のせいにして』に

しようか、それとも『戦地の図書館』に

しようか、迷ったのですが

今回は『怒りの葡萄』を紹介しました。


なぜなら、『怒りの葡萄』を図書館に

返すまえにいくつかの文章を書き写そうと

再度ページをめくると

なんだか本の印象が違うことに

すごい驚いたから。


初めて読んだときは、社会の不条理に

ばかり目がいったのですが

これは家族の物語だと強く感じたのです。


主人公トムのお母は、弱音を吐かない。

1日中仕事を探して疲れて帰ってくる

男たちに、「ちゃんとお金を稼いで来い」

と言う。当然お父たちは怒ります。

でもそれは、おかあの作戦。

「男っていうものは、悩みに悩み抜いたら

体を壊しちまって、じきに心を痛めて、

寝込んで死ぬこともあるんだ。だけど、

ガツンと食らわせて怒らせたら、

立ち直るんだよ」

もちろん、他の家族への配慮も忘れません。


さらに、神の存在もあちらこちらに。

(私が勝手にそう思っただけですが…)


畑一面に実った食物が、土の上で

食べられることなく腐っていく。

「大地にとってその甘い腐臭は深い

悲しみだった」

例えばここに神の存在と怒りを思う。


この小説のラストは雨。

暗い小屋の中で、トムの妹は

子どもばかりに食べさせて自分は何も

食べず、飢えて死にそうな父親を

助けようとします。

飲む子のいない母乳を父親の口に

含ませることによって。


それまでは不平不満の塊のような妹

だったのに、まるで雨に打たれて人が

変わったかのよう。

雨は人を象徴的に洗い清める。


その姿はとても神々しく、光なんて

存在しないのに眩しいほどの光を

放っている。

聖母マリアの姿が脳裏に浮かびます。


それまで家族の中心となっていたトムは

罪を犯し、家族と別れます。

お母たちはどうなるのだろう。

でもこの家族は生き残る。

そうあって欲しいとの気持ちも込めて

そう思う。


「怒れるひとびとが叫ぶなら、それが

おれのゆく途になる。食事の支度が

できたときに腹ペコの子供たちが笑うなら

それがおれのゆく途になる。

おれたちの仲間が、育てた作物を食べ

自分たちか建てた家に住んでいるとき

もちろん、おれはそこにいる」


ということで

前回と全然違う感想になりましたニコニコ


こんなに短期間で本のイメージが

変わるのはあまりないような気がします。

これが古典といわれる本の力なのかな

なんてことを思いました。


来年は古典をたくさん読んでみたいです。

新しい本も気になるけど、

今はじっくりと味わう読書が

したいなと思います。