何とかすぐ受診できる病院が見つかり、
内診をしてもらうが
「動いてないですね」
本当にダメなのか。
「週数から計算しても育ってない様子なので、残念ですけど流産ということになりますね…」
何も考えられなかった。
その後手術日が決まり、2019年5月1日
令和の始まりの日に入院し、
その翌日赤ちゃんとバイバイすることになった。
気持ちは追いつかなかった。
心拍確認後の流産は5%程度しかないのに
なんでうちの子が
何がいけなかったんだろう
ごめんね
いやもしかしたら手術日になって内診したらやっぱり生きてましたとかあるんじゃない⁈
色んなこと考えました。
病院から帰って、声を荒げて泣きました。
2019年5月1日
手術日前日にラミナリアという子宮口を広げる棒を入れるとのことで痛み止めの座薬がありました。
私は初期の流産だったので、ラミナリアは1本。
入れる時にすごく痛がる人もいるらしいですが、私は全然痛くなくて拍子抜けでした。
手術までは心配した母や妹、甥っ子たちが面会に来てくれました。いついかなる時も甥っ子たちはかわいい。
父はなんて声かけたらいいかわからなかっただろうな。
そこからの記憶はあまり無い。
2019年5月2日
朝から手術。
ストレッチャーに乗せられ、手術室へ。
見送ってくれてる旦那は何を思ってたんだろうな…
赤ちゃんとバイバイしなきゃいけないのかと思うとツーっと涙が流れた。
1人の看護婦さんが手をギュッと握ってくれて、
私の目を見て頷いた。
私も頷き、目を閉じた。
全身麻酔だったので、すぐに意識は遠のいた。
名前を呼ばれて目が覚めるともう手術は終わっていたようで驚いた。
「終わりましたよ」
ああ、もうお腹にあの子はいないんだ。
「初期の流産は受精卵側の問題なのでお母さんの問題ではありません。自分を責めないように…次はきっと大丈夫だから」と先生は元気付けて下さいましたが
次がどうとかではなく
今お腹にいた子が居なくなったことが、ただ悲しい。
ずっとそんな気持ちでした。
旦那と相談して、鎌倉の長谷寺で供養してもらうことにしました。
良かったね、紫陽花や花火、紅葉もある綺麗なお寺だよ。
パパとママで綺麗なお花持って会いに来るからね。
お空から見ていてね。
私のお腹に来てくれて、ありがとう。
11月29日
元気に産まれていたらあの子は今日1歳だった。
男の子だったのかな
女の子だったのかな
旦那と私、どっちに似ていたかな
夜空を見上げて、チカチカ光る星を見つけると
あの子の事を思い出す
早く戻っておいで。
パパもママも待ってるよ。