2022年もあと残り僅かというときに、こんな状態を晒してることに若干、己の情けなさを感じつつ…。
最近は離人症のことばっかり書いてるけど、メンタルはようやく少しだけ小康状態になった(まだ不安定なので、いつどうなるかは不明)。
昨日は病院でいろいろ訊かれたことを自分の中で反芻してるうちに、離人感がかなりヤバくなってしまい ”あー、もうこりゃ真面目に無理だゎ。真剣にこの世とオサラバすること考えないとダメかもなー” と思った。
20年前のほうがもっと酷かったとはいえ、あの頃はまだ俺も若かった。
若さというのはそれだけで強みになる。
あの頃は、朝起きていきなり離人感が脳内から離れず、恐怖心が波のように湧いては消え、消えては沸き、しながら時々、発狂しそうになる、というのを連日繰り返していて、精神は限界まで疲弊してたし、もちろん仕事なんて一切できないし、元伴侶に『お願いだから助けて…』って縋ったりもしたけど、元伴侶は『私は医者じゃないから分からない。そんなに辛いなら病院行けば?』とあっさりと突き放されてしまい、もう誰も自分を救えないんだなぁ…と、ぼんやり考えてた。
覚悟を決めて、元伴侶に『自分が死んだら子どもたちのこと宜しく頼む』と言ったら、元伴侶は『ほんとに死ねるの?』と訊いてきた。
だから、俺は怒りにも似た感情をぶつけた。
『死にたいわけなんかない!もう生きていけないんだよ!!』って。
そのとき、まだ幼稚園の年長児だった息子が何も知らずに『どうしたの~?』って言いながら居間の扉を開けてニコッとした。
俺はその顔を見て、咄嗟に『なんでもないよ。今、お父さんとお母さんは大事なお話してるから、少しだけ二階に行っててくれるかな?』と笑って廊下へ連れ出した。
息子はそのまま大人しく階段を上がっていった。
そのとき、階段を上っていく息子を見ながら ”自分は子どもたちを片親にしてしまうんだなぁ。この子たちは大きくなったとき、俺のことをどれくらい覚えているのかな。『なんで死んじゃったんだ』って恨まれるかな” と考えた。
子どもたちが大きくなった姿をちゃんと見届けたかったなぁ…って心から思った。
だったら、死ぬ気で治療すりゃいいんじゃね?
死ぬ前に死ぬほど頑張って、それでダメだったら死ねばいいじゃんって。
そう思ったんだよなぁ。
で、その後、ちょっと全力で暴露療法に取り組んだおかげで離人も治まって、しばらくは服薬ナシで飛行機も新幹線も乗れてたんだが。
そして昨日も考えた。
そうだ、辛いんなら無理せずに死んじゃえばいいんだよ。
生きてる辛さから解放される手段として死があるんだから。
どうせ死ぬなら、パニック発作で死ねば良くね?って。
パニック発作起こして ”このまま死んじゃったらどうしよう” とか ”もしこれが発作じゃなくてほんとの病気だったら” って考えるんだから、そのまま死ねれば願ったり叶ったりじゃんって。
新幹線や飛行機はパニック発作で死んだら他の乗客に迷惑がかかるから、スカイツリーの展望台とかいいかもなって。
もう死んでもいいから、パニック発作起こして死のう。
あ、でもその前に断捨離しとかないと。
変なもの残して死ぬのは恥ずい。
あと、遺書書いとかなきゃ。
とか、いろいろ考えたら、ちょっと持ち直した。
現金なもんだょ。
”もう死んでもいいや” って本気で思うと、なんだか元気になれるって、ほんとうに皮肉だなって自分でも思う。
”現実を受け入れたくない” ”命を脅かすストレスから逃げたい” そういうものが離人感を起こしてるからこそ ”もう逃げなくていいんだ” って思うと、ちょっとホッとするんだろうな。
というわけで、生きるのが辛くなったらパニック発作で死ぬことにすると決めた。
それで、そのまま何か手違いでほんとに死んじゃったら、それはそれでしょうがないってことで。
こんな風に自分の苦しみを逆手にとってまで生きてる意味あるのかわかんねぇけど。
Youtube観て、まだ笑えるうちは、この世にいるのもそう悪くねぇんじゃないかって思って。
むしろそうやって死ぬつもりで暴露療法やれば、この年でもしかしたらパニック症のほうが完解する可能性もあるしな。
とりあえず、腹減ったからなんか食うゎ。⇦ 死ぬ気あんのか、お前ww
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