アンジュルムというグループの見方というか、表現の変化についての話です。

 

この場合はアイドルの音楽ですが、多くの表現作品というのは沢山の人が関わり、何段階かの作業というか手がかかりながら人の目に触れる作品になっていきます。

 

そこの軸になる部分、重心が つんくプロデュースのスマイレージ時代と、今のアンジュルムで変化があって、そこが観る人によっては戸惑わせ、また観る人によっては魅力になって新しいファンを集めているところなんですけど、

意外とそういうその前提になる部分が認識されてないので説明してみようかと思います。

 

まずざっと基本的な作品が制作されていく流れとして

 

楽曲イメージが決められて発注→作詞、作曲→編曲→トラック作成(演奏)→ボーカルレコーディング→振り付け→衣装などのビジュアルイメージ→ミュージックビデオの作成→コンサートの演出構成など→ライブパフォーマンス→観客へ届く。

 

もちろんここに作品イメージとして広告とかプロモーションとかも重要な部分があります。

その段階ごとに専門家(要が楽器奏者であったり、振付師であったり、映像作家であったり諸々)が関わって作られていきます。

 

もちろんそこに関わる人々全員に各ポジションでクリエイティブな仕事をして、自分の役割のなかで表現を行いそれが積み重なり編み込まれて一つの作品になっていくわけですが

当然、その作品は誰の表現作品なのか、中心というか軸になる物があります。

 

それが つんくプロデュース時代のハロプロではわかりやすいです。つんくの作品です。

プロデューサーというポジションではありますが、まずソングライターという役割が軸で、そこから各段階ごとのディレクター、責任者にイメージを伝えて、時には具体的、細かい指示をだして完成させていきます。

それはレコーディングの仮歌や、コンサートのリハや初日の観客入った状態にも立ち合い細かい修正も自身でしていきました。

それは髪型や衣装とかにもおよびました。

 

これがずっと続いてきたハロープロジェクトのスタイルで、ハロヲタはそれを受け取ってきました。

 

それが つんくがプロデュースを離れて当然形が変わりました。

変わりかたは各グループで様々だったりします。
 

そこでアンジュルムなんですけども、今 表現の重心軸がよりグループメンバー主になっていっています。

あらためて

 

楽曲イメージが決められて発注→作詞、作曲→編曲→トラック作成(演奏)→ボーカルレコーディング→振り付け→衣装などのビジュアルイメージ→ミュージックビデオの作成→コンサートの演出構成など→ライブパフォーマンス→観客へ届く。

 

メンバーが関わるのはボーカルレコーディングからです。

作品イメージ、楽曲、トラックが与えられ、振り付けも用意され、もちろんそのスタッフも用意された状態にパフォーマーとして入ることは変わらないわけなんですけど

 

つんく時代がそのつんく作品を表現するために細かい指示通りに表現するという形から、今は あやちょなどがインタビューで語っているように「その用意されたものをメンバー各自が持ち帰って自分の感覚で表現していく」そしてそれが集まってグループの表現になると。

 

要はそこまで用意されたものが素材として、メンバーが表現作品としてお客さんに提示するという。

そこにより重点が置かれてくるようになりました。

 

またそれによって作られたもののイメージやスタイルを、制作陣がまたフィードバックさせて素材を作るという、その中心に今はメンバー、主にリーダーのあやちょがいるわけでして、活動の中で、その影響力がだんだん大きくなっています。

 

音楽関係のアーティストというと、まず作詞作曲、ソングライティングをして自作自演をするという形が理解されやすい。

アイドル→アーティストというステップとしてわかりやすい。

しかしアンジュルムはそうではなくて、ポジションが変わるわけではなく、あくまでステージに立ち観客と向かい合うパフォーマーとしてのステージマスターの立場からグループをクリエイトしていくということです。

 

そうなることによってソングライターである音楽家のプロデュースというところから、あやちょ自身が美術の専門ですし視覚の人なのでより「見せる」という事に重心が移っています。

あやちょがコンサートについて言及してるところも「舞台演出」や「映像」などほぼ視覚的なとこに偏っていることからもわかります。

りなぷーの衣装担当も視覚ですね。

先に書いた「用意された素材」をどのように「見せるか?」がアンジュルムの表現の中心になっています。

 

ただこれまでハロヲタは、あくまでその前段階の「音楽」の部分に重点を置いてきたので、そこに戸惑いが生まれます。

だからといってもちろん「音楽」「歌」が軽視されてるわけではありません。そこはハロプロ的にも、本人達的にも培ったきたベースがあって、そのうえでですね。

だからアンジュルムを楽しむために観る側も一度その重心をリセットするとわかりやすいんですね。

アンジュルムになって入ってきたファンの方たちは最初からその魅力で入ってきているので意識、無意識なくそれが魅力になってると思うのですが

「見せる」ということの重視。

ひっかかるハロヲタはそこなのかなぁとは思います。

 

たぶんその大きな転換としては「愛のため進化 退化」また.16年秋のライブツアーからですかね。私はそこでこのグループはこういう方向になるんだなと。

 

だからよくスマイレージ時代の曲はやるのか?やらないのか?という話題はでるんですけど、一概にスマイレージ曲orアンジュルム曲ってことじゃないんですけど

その作りこみの違いがベースにあるんですね。

春ツアーの「変変」武道館の映像を見ても、スマ曲のほとんどはフォーメイションや間奏でのダンス表現が少なくほとんど広がって煽ったりするような演出になっていて

この違いを有効に使ってると見える部分とやっぱり違うんだなという違和感とあり

それがより去年のアンジュルムの表現、また重心の変化のわかりやすさを伝えてくると思いました。

 

 

 
こういう形で自分たちでソングライティングをしなくても
表現の世界観の部分を掴んでメンバー10~20代女子の感性の表現として成り立ってきました。
 
そこを理解することでアンジュルムという「アイドル」という表現の部分がより楽しめるかと思いますがいかがでしょうか?