東海道ぶらり旅 その後の日記80 | 東海道神々爺の日記

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平成27年6月16日(火)
 
                   老人会の旅  仁徳天皇陵と舞鶴港
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 遂に老人会の常連になってしまった。春の旅行会は仁徳天 皇陵と舞鶴港を訪ねる歴史を辿る旅だ。
 天皇陵の全貌はあまりに広大で全貌は出来ないため市役 所展望ロビーからまず全容を焼き付けてからの見学とる。
 周囲に約10基、全部で44基を数える大古墳群だ。5世紀建イメージ 3 造の古代文明がこの町にはしっかり息づいている。
 商人の町、茶文化の町、多くの伝統産業を生み出した町、 堺市はエネルギー溢れる町のようだ。
 
 京の奥座敷、湯の花温泉で宿をとり翌日こそが最大の旅の 目的地、舞鶴港だ。終戦直後から昭和33年までその役割を
イメージ 2 果たすまで舞鶴は引き揚げ船の帰還地だった。13年間で6 6万人の引揚者と1万6千柱の遺骨を受け入れたという。
 私たちにとって決して忘れ得ない昭和の歴史を残す引揚  港だ。8棟の赤レンガは国の重要文化財。
イメージ 4 リアス式海岸の美しい地形に恵まれた舞鶴港、ここに旧海 軍の舞鶴鎮守府が置かれ兵器庫や造船所などが造られ  その倉庫群が今も一際目を引いている。
 引揚船「高砂丸」の模型が陳列されている。全長139米の 貨客船、ナホトカ、大連など30回にわたり任を果たした。
 
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 引揚げの史実も風化しつつあると案内ボランティアは嘆く。
 戦争のもたらした数知れぬ悲劇、未だ帰らぬ子を待つ親の
 心情を歌ったあの唄も今の若い子は知らないという。
 引揚船が入る度、地元の人々の献身的な受け入れ姿にも 感動する。戦後70年の節目に舞鶴港を訪問できたことに
 旅の意義を感じるものであった。