忘れかけた震災の記憶

震災から1年が経ち、昨年夏に流れた報道のことを忘れ去ってしまった人も多いことでしょう。
 
日本で起きたことなら「**から何年」という報道もありますが、海外のことになると、そういう報道さえされない(または、されにくい)という現状があります。
 
それでも、忘れ去ってはいけない記憶があります。
 

震災の一番怖いところは、日常が奪われること

 
あの日、多くの人の命が奪われ、また、その何倍もの人の日常が、日常でなくなってしまいました。
 
有名な話ですが、一人の人が他界すると、最低5人程度は、強いショックを受けると平均して言われています。
 
彼らの心の傷がいえるまでが、本当の「復興」という定義だといってもいいかもしれません。
 

報道がないということと、復興が進んだということはイコールではない

 
あの恐ろしい震災から8か月がたったころ、私が資料を調べていると、とあるサイトに、こう書いてありました。
 
 
「震災の復興なんてあらかた終わったのでは?」
 
 
私はこれにショックを受けました。
 
こんなことを言えるのは、震災を他人事にしているからか、それともただ単に情報が足りないのか……
 
どちらにせよ、返すべき言葉が見つかりませんでした。
 
言いたかったことは、自分で調べて想像してから言って!ということだけでした。
 

現地メディアが伝える、悲しい事実

 
日本のメディアではほとんどと言っていいほど続報がないので、現地のメディアを調べてみました。
 
当たり前といえば当たり前のことなのでしょうが、日本のメディアは日本のことを優先的に伝え、現地メディアは現地からの最新情報を届けてくれます。
 
そこで調べていると、私たちの予想を裏切るほど、震災の復興が進んでいませんでした。
 

9割近くの瓦礫が被災地に

今年6月のデータから。
 
 
イタリア語です。
 
SOLO L'8 PER CENTO DI DETRITI RACCOLTI - Come fanno a tornare, se per strada hanno i frantumi delle case crollate? Secondo una stima per difetto ci sono 2,3 milioni di tonnellate di macerie da rimuovere: da quel 24 agosto, quando il primo terremoto distrusse Amatrice e Accumoli, la macchina dell'emergenza è stata in grado di portarne via 176mila e 700, meno dell'8 per cento. Nel Lazio hanno cominciato a novembre: rimosse 98mila su un milione; in Umbria 3.700 su 100mila; in Abruzzo 10mila su 100mila. Nelle Marche sono partiti solo ad aprile. Ad oggi hanno raccolto appena 65mila tonnellate su un milione. Il 6,5 per cento del totale.
出典は同じ
 
230万トンの瓦礫が現在被災地にはあり、昨年の8月から、17万6000トンを撤去したが、これは率にしてわずか6,5パーセントに過ぎない。
見やすいように日本語に翻訳し、要約しました。
 
最新の情報によると90パーセント程度になったそうですが、それでも依然被災地の復興が進んでいないことには変わりありません。
 

こんな状態では、心のケアなど難しい

 
実際、被災者の方が言っていました。
 
「私たちがここにいると、毎日この悲惨な光景を見なくてはならない。それは耐えがたい苦痛である」と。
 
原爆ドームを取り壊すか負の遺産とするか、日本でも戦後揺れたようですが、取り壊してほしいという意見で最も多かったのは「これを見ると辛い記憶を思い出してしまう」というものでした。
 
 
想像してみてください。
 
被災者の方が、懸命に復興させようと、失われた日常を取り戻そうとしているときに、毎日嫌でもこのような光景を見なければいけないことを。
 
そして、そのような光景を見ると、誰でも嫌でも思い出してしまいます。
 
震災の恐怖、不安、それは相当なものです。
それなのに、それが再びよみがえってしまい、体験してしまうのです。
 

「政府に積極的に働きかける」

アマトリーチェのピロッツィ町長さんは、毎日新聞のインタビューにこう応じていました。
その際、「日本の防災に関することを見習おうと思う」とコメントされていました。
 

思考停止に陥らないように

 
Twitterのタイムラインに象徴される「情報の洪水」。
世界中の出来事が手元に受け取れる時代になったからこそ、大切になることがあります。
 
それは「自分で考える」ということ。
 
ニュースを読むだけではなく、被災者のことを、忘れてはなりません。
 
世界中で自然災害は相次いでいます。
 
明日、もしかしたら今日、自分のもとに起きてもおかしくはありません
 
 
また、被災者の心痛は計り知れません
 
直接会ったこともない、話したこともない、名前も知らない。
 
それでも、その誰かが、この世界で苦しんでいます
 
 
知り合いでないから。
 
現地に家族や親族がいないから。
 
だから、インターネットに「復興は終わった」という無責任極まりないコメントがあるのです。
 
 
もし被災者の方が自分の友人だったら?家族だったら?
 
そう考えると他人事にできることではありませんし、そう簡単に忘れ去ることもできないでしょう。