昨日、母と電話で話したとき、声がいつもより少し遠くに聞こえました。
「ここ数日、あまり食欲がなくてね。なんとなく身体もだるいから、横になっているの」と母は言いました。
夏の盛りには、「暑さを乗り切るには、ちゃんと食べなくちゃね」と、私よりしっかり食事をしていた人です。
それが、朝晩が少し過ごしやすくなった途端、急に元気をなくしてしまったというのです。
暑さが落ち着いてから出てくる夏の疲れもあると聞きます。
考えてみれば、私自身も最近、朝起きたときに身体が重く感じる日が増えていました。
私でさえそうなのですから、七十代の母には、今年の夏は思っていた以上にこたえたのでしょう。
翌朝、私は予定を少し変更し、実家へ向かうことにしました。
その前にスーパーへ寄り、「食欲がなくても喉を通りやすいもの」を探しました。
桃のゼリー、なめらかなプリン、ヨーグルト、カットされた果物、やわらかいうどん、冷たいスープ。
売り場を歩きながら、母が食べられそうなものを見つけるたび、かごへ入れていきました。
気づけば、買い物かごの中は、病院の売店を小さく再現したようになっていました。
実家へ着くと、母は薄いカーディガンを羽織り、居間のソファに横になっていました。
顔色がひどく悪いわけではありませんでしたが、いつものような勢いがありません。
「いろいろ買ってきたの。プリンなら食べられそう? 桃のゼリーもあるわよ」
と袋から一つずつ出して見せると、母は申し訳なさそうに微笑みました。
「ありがとう。あとでいただくわ」
ヨーグルトを見せても、「あとで」。
果物を見せても、「あとで」。
うどんについては、「そうね、もう少し元気になったら」と言われました。
冷蔵庫の中には、私が持ち込んだ“身体にやさしいもの”が整然と並びました。
白や淡い色の容器ばかりで、眺めているだけなら、とても穏やかな冷蔵庫です。
ただ、母の食欲を刺激する力は、あまりなさそうでした。
水分だけは少しずつ取ること、食べられない状態が続いたり、体調が悪化したりしたら病院へ相談することを母と確認しました。
母は「分かっているわよ。心配性ね」と言いましたが、その声にもいつもの張りがありませんでした。
帰り道、私は母のこれからについて考えていました。
今回は夏の疲れだとしても、年齢を重ねれば、こうして寝込むことが増えるかもしれません。
もし一人で暮らすことが難しくなったら、もう一度一緒に住むことになるのでしょうか。
家へ戻ると、いつもアクセサリーを作っている部屋を見渡しました。
天然石や金具、リボン、箱、撮影用の布が並び、空いている場所はほとんどありません。
この部屋を片づければ、母の寝室にできるかもしれない。
制作机は窓辺へ移して、材料は小さな棚にまとめよう。
浴室には滑りにくいマットが必要かもしれないし、夜中に廊下を歩くなら足元の照明もあったほうがよさそうです。
私はノートを開き、「母と暮らす場合」と書きました。
その下に、収納、寝室、浴室、通院という言葉を並べました。
まだ何も決まっていないのに、気持ちだけは、すでに引っ越しの三日前くらいまで進んでいました。
けれど、仕事に追われているうちに、一週間ほど実家を訪ねられないまま時間が過ぎました。
毎日短い電話はしていましたが、母は「少しずつ良くなっているわ」と言うばかりです。
本当に食べられているのか、私を安心させるためにそう言っているのか分かりません。
冷蔵庫に並べたプリンやゼリーが、誰にも手をつけられないまま、静かに賞味期限へ近づいている姿を想像していました。
一週間後、ようやく実家を訪ねると、玄関を開けた母は、前回とはまるで別人のようでした。
頬には血色が戻り、髪もきちんと整えています。
しかも、私が靴を脱ぐより先に、「その袋、廊下に置いたら邪魔になるでしょう」と注意されました。
注意する元気がある。
それだけで、かなり安心しました。
「どうしたの? 食べられるようになったの?」と尋ねると、母は少し得意そうに答えました。
「それがね。一週間くらい何も食べたくなかったのに、ある日突然、ハンバーガーが食べたくなったのよ」
「病み上がりに、ハンバーガーを?」
「そう。食べてみたら、それまでの一週間は何だったのかしらと思うくらい、急に食欲が戻ってきてね」
テーブルの上を見ると、見覚えのある紙袋が置かれていました。
「今日もダブルチーズバーガーのセットを買ってきたところよ。ポテトも全部食べたわ」
私は、「はあ」としか言えませんでした。
念のため冷蔵庫を開けると、私が買った桃のゼリーとプリンは、ほとんどそのまま残っています。
喉を通りやすく、身体にやさしく、見るからに病み上がり向きの食べ物たちです。
その横で、母を実際に元気にしたのは、チーズが二枚入ったハンバーガーでした。
「私のプリンより、ダブルチーズのほうが効いたのね」
そう言うと、母は笑いながら、「食べたいと思ったものが、一番なのかもしれないわね」と答えました。
確かに、身体にやさしいものを選ぶことは大切です。
でも、人の元気は、栄養の計算だけで戻ってくるものでもないのでしょう。
「これを食べたい」と心が動くこと自体が、回復の合図になることもあるのかもしれません。
母は台所に立ち、昨日作りすぎたという揚げ物を保存容器へ詰め始めました。
一週間前には、プリンさえ「あとで」と言っていた人が、今は揚げ物を作りすぎています。
その背中を眺めながら、私は心の中でそっと、「母と暮らす場合」と書いたノートのページを閉じました。
将来、その計画をもう一度開く日が来るかもしれません。でも、少なくとも今ではなさそうです。
帰宅後、冷蔵庫に母から持たされた揚げ物をしまい、制作部屋を見渡しました。
母のために空けようと思っていた棚には、まだ天然石とリボンが並んでいます。
私は少し安心しながら、あの日買ったプリンのことを思い出しました。
心配する気持ちは、つい先回りして、まだ来ていない未来の部屋まで片づけようとします。
でも今必要なのは、遠い先の暮らしを急いで決めることではなく、母の今日の声を聞き、食べたいものがあるかを尋ねることなのでしょう。
ただし、次に母の食欲がないと聞いたとき、何を買っていくかは少し迷います。
プリンにするか、ダブルチーズバーガーにするか。
母の場合、答えはもう決まっているような気もします。