生い立ち。
私はものすごく異様な家庭で育ったと思います。
私は大阪の父と富山の母の間で生まれ、物心ついたときには大阪の小学校に通っていました。
皆様も、出身は?とよく聞かれると思いますが、私は困ってしまいます。
どこで生まれたのかはよく分からないけれど、大阪で育ち、15歳の時に両親の離婚により富山の母の実家へ引っ越しました。
今思えば、母へついて富山に行かずに父と大阪に残って生活していたほうが正解だったと思います。
大阪の祖父母は当たり前に僕に優しく、ごく普通の家庭でした。
でも、富山は違いました。
富山の祖父母は何事にもせこく、細かく。厳しいと言うのではなく、なんというか世知辛いのです。
水道光熱費がかかるから風呂は週に1回。それも10分以上入っていると怒られます。
食事は遠慮しながら食べ、牛乳は飲み過ぎるとつつかれる。
細かいことで文句を言われ、人と電話するときには子機で会話を聞かれている。
その時には携帯なんてものはなかったですからね。
ギスギス、全てにおいておかしい。肩身を狭くしながらなんとか生きていました。
いっそ児童養護施設などに入ったほうがのびのび生きられたかもしれません。
戦後の復興から社会を乗り越えてきた大阪の祖父母と違い、
ずっと代々続く田舎の薬局の自営業で自分本位で世間と接することのなかった富山の祖父母の違いは大きかったです。
その感覚は母に受け継がれていました。
そして、今度は弟に引き継がれています。
弟は富山の警察官です。もちろん、感覚を受け継いでいて著しくズレています。
深夜の二時に事件や事故で呼び出されることもあり、母は弟の頑張りを大変誇っています。
「アンタは何も苦労していない」弟と比べられて、そう母に言われました。
冗談じゃない。
夜中の2時に呼び出されるどころか、
そもそもこっちは朝の8時から深夜2時3時までぶっ続けで働いている昭和のモーレツサラリーマンです。
しかも、公務員と違ってキッチリ残業代や深夜勤務などの手当てが出るわけではない。
私はまるで理解されない環境で育ち、生きてきました。
大阪方の父や祖父母、親せきは私に理解を示し、私を可愛がってくれました。
しかし、富山に行ってからは、虐げられるだけで何も理解してもらえず、弟の方は比較的可愛がられていました。
幼いころに富山へ移った弟は地元民であり、中学生にもなって移った私はよそ者です。
今は富山の祖父母も亡くなり、母も年老いて色々変わりましたがその構図は変わりません。
母は未だにガンとして私を理解しようとしません。
絶対に富山に戻ることはない。
絶対に〇家(富山の家)に戻ることはない。
絶対に、〇家の連中を許すことはない。
絶対に富山のしがらみの中に戻ることはない。
絶対に私が理解されることもない。
誰であってもよそ者扱いされずに受け入れる東京。こここそが私の生き、死ぬ場所なのです。
のたれ死んでも構いません。絶対に富山には戻らない。