ブログネタ:なにしてるときが幸せ?
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幸せを感じるのは「野山の散歩」です。
僕は金持ちがするというゴルフの経験もない。野球と言えば小さい時分、空高く打ちあがったボールを受け取ったはずなのにポロリとはずしたのがきっかけで野球は嫌いになった。テニスで弱いものを苛めているときは気分もいいが、囲碁や将棋と挑戦されては負けることが多くなったのをきっかけにそれらもやらなくなった。体力もそれほど達者でない今の僕は「なにしているときが幸せ?」となると、ひとり野山を散歩することがあげられる。
僕が今住んでいるところは本国一の山の国とされる信濃の国だ。野山の散歩がすきならお金も銭もかからない絶好の場所がいたるところに転がっている。その山河の自然に満ちた風光明媚(ふうこうめいび)に心ひかれ離れがたくいつまでもその場所に居たくなる気分に酔うのだ。ひとりだから誰彼に気兼ねなく己(おのれ)のすきなようにその明媚とやらを手玉にとることができる。手玉にとることができても熊も自然を眺め酔い痴(し)れているときがあるから熊の思うつぼの手玉になってはいけない。
だが、山野に入り、その自然を手玉にとって弄(もてあそ)ぶことの恐ろしさも知った。なぜならその自然のあるがままのそれをうまく言いあらわせない苦痛がこのごろ痛く心を悩ますのだ。それはまるで女性の心に似て、いかようにでも変わる自然の豊かさのなかにひそむ恐ろしさである。単なる欲望と無知な登山がそれにあたる。僕は女性の心を一度たりとも手玉にとって弄んだり操ったりしたことはない。しかし、その逆のことは煩わしさとともに己の心の中に蘇ってくる。 完
面白くないくせに長くなると嫌になりますからこのあたりで止めます。では、では、またお会いしましょう。さようなら。(*^▽^*)