小説
小説1~10
5「ことさら」 その1(1/6)
呂上靖明は、蒸し風呂に雨を降らすような昨夜を忘れ、いつものように朝早く起きて茶を飲んでいた。クーラーがないと、寝られぬと騒いでいた妻は、真夏の赤い陽も覚えず、まだ床の中で夢を追いながら寝入っている。靖明は茶や梅にも飽き、心の退屈が顔をもたげた。心を動かすものはないかと、庭の松やツツジ、それに家を囲む生け垣を見渡す。雀が生け垣で毎朝決められたように鳴き始める。そして、雀が何処やらへ去ると、今度は庭の小楢の枝では鳩が鳴き始めた。これでは余りにも手持ち無沙汰で退屈である。何か適う事があれば心の意識もせわしくなるのだが、職を離れた自分には、望みのものと思えば雀や鳩の声しか運んで来ぬ。朝、茶柱が立っても、これまで良いことなど無かった。だから人の言うそれは嘘になる。こうして仕事を辞めて、あれやこれやと考えても、何もない原っぱのような頭だから、幾ら考えても何にも突き当たらない。平坦とした心の中で、人の心や味のある古木や花が咲いたりしていないから尚寂しい。このような無意識はことさらに身の置き場がなく辛いものがある。考える前に始めろと誰かが言っていたが、つまらぬ事を始めて、途中でやんなって、やめるようでも困る。
ボーンと、柱時計の鈍い音がした。靖明は新聞を畳みながら柱時計を眺める。新聞を投げ、困ったような顔付きで寝室へ向かった。そして、寝室のドアを開けるなり「いい加減に起きたらどうだ」と、入り口で声を掛ける。妻は寝穢く、それでも知らぬ風で寝ている。更に靖明は「おい」と、やや大き目に云う。妻はやっと気が付いたようだ。
「今日は日曜日でしょう」
「もう、日曜日などと云う年頃でもあるまい」
「あなただって、一日中ゴロゴロしているだけでしょう」
「息子や娘たちが来たらどうする」
妻は眠そうな目を眩しそうに開いて時計を見る。
「あなた、まだ六時でしょうが」
「六時どころか、もう半を回っているじゃないか」
夏の陽は既に寝室を暑いように照らしている。朝の風が、さわやかにカーテンを揺るがしているから、なかなか寝付かれなかった体に、今ではそれが心地好く感じるのであろう。長く連れ添った妻は、朝食の用意と言っても、煩いように寝返りを打って知らぬ顔だ。そんなに腹が減って困るなら、自分で作って食べたらどうですかと言う大変ご粗末な態度である。長く苦労を共にして来ても、これでは夫婦としての味も素っ気もない。
妻は、僕が職を離れてしばらく経った時、妙な事を言った。
それは、「これまで命を掛けて来た仕事でありながら、何の未練もなくやめさせられたのだから、会社では仕事や男としての魅力はほとんど無くなったのだわ」と、何時だったか物案じする如く言った。
首を切られたことなどは、双方に解決のない悶着もあるが、見過ぎを考えると自分より妻の方がよほど辛かったにちがいない。随分がっかりもしたであろう。退職金も余計に入ったのだから、それでしばらくゆっくりすれば良いと宥めたら、今度は自分が働きに出ると言い出した時には驚いた。
それからと言うもの、龍居の身で悠々閑々なる僕の姿を見て、離職の原因を妻は勝手な想像を交えて茶飲み友達に話すようになった。何と言われようが、日がな一日こうして退屈そうに家に居るのは、妻に限らず、茶飲み友達にも少なからず迷惑を掛けている風に分かった。自分の家だと思っても世間はやはり窮屈である。両隣りの奥方が集まれば、男には理解できぬことを、しかも、想像力逞しく条理の整わぬ思惑抜きで簡単に物事を決めて掛かるから返答に困る時が多にしてある。その時は、ふと用事を思い出だしたように垣根の外に出ることにしている。