ことわざ漫談小話
ことわざ小話51~100
65「疑心暗鬼」
この「疑心暗鬼」とは、疑い出すと、ありもしない鬼の姿まで見てしまうように、何でもないことが不安になり信じられなくなることです。こんなことはみなさん経験ありませんか。それでは魚屋の熊と、八百屋の八ちゃんの「残った魚でいいのだ」の巻きです。
「八ちゃんはヤダねぇ、ええ、幾ら教えてもイカを指差してタコをくれというね。それ、何とかならないのか?」
「それが何ともならないのだよ」
「なんともならない?だけどねぇ、お客さんの前で、イカを指差しているのにタコを包んじゃ、こっちが間違えているようで、気が気じゃないのだ。分かってくれよ、なぁ、八ちゃん」
「熊、心配するな。こっちは何ともないから」
「それじゃなぁ、これからはイカを指差して、タコと言わないでくれ」
「え?それじゃ何か?タコを指差してイカならいいのか?」
「その逆も、そりゃダメなの、分かる。八ちゃんはタコとイカの区別がおとなになってもつかないの。だからタコはこれで、イカはこれだとはっきり覚えることが大切だ。それは今日の宿題だ」
「何が宿題だ。それじゃ何か、ええ、熊は、俺にイカやタコを売る気は無いのか?」
「何をつまらないことを言う、そんなことはないって。八ちゃんは大事なお客さんだよ」
「それなら、細かい文句を言うな。何時だったか俺がそのタコくれといったら熊はイカをくれたじゃないか」
「あ、それは昔のことだ」
「それでおれが文句言ったら、イカをただでくれたじゃないか」
「え?ただなんて、そんな百年前のこと、まだ覚えているのか?」
「百年前でも覚えていちゃ悪いか?」
「誰にだって間違いはあるのだ。だからといって、イカを食いたいのに、タコを指差すのはやめてくれ」
「それじゃ熊は、俺がイカやタコを覚えるより、下町人情の応用問題を解けるようにならなきゃダメじゃないか?」
「な、何だとう?」
「俺は、今夜の酒の肴にしたいのだ。だからなぁ、タコでもイカでもなぁ、ええ、どれでもいいのだ。残ったもので良いのだ」
「この、泥棒猫め」
成るほど、酒の肴をただで貰いたい。それじゃ都合のいいものでこっちは良いのだという意味で、わざと間違えていたの。へぇ・・こりゃ分からない二人だ。
九月六日、外はしとしとの秋雨です、 源五郎