ことわざ漫談噺 | 源のブログ

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源のブログへようこそ。笑い話を書くことが好きです。ただ今「ことわざ漫談小話」等の笑い話しを創作発表しています。それに季節ごとの俳句や川柳も投稿しています。最近は「戯れ言」も書いています。作品名は画面右下側フリースペースをご覧ください。

 ことわざ漫談噺
  ことわざ落し話61~90

 87「河童の川流れ」

 

さて、この「河童の川流れ」はみなさんよくご存知ですね。この類似のことわざには「猿も木から落ちる」、「弘法も筆の誤り」などでよく知られているとおり、達人といわれている人でも、ときには失敗するということです。みなさんだって、得意なもので思わぬ失敗や苦い経験をした覚えはあるでしょう。え、そんな失敗など一度もないですって、それは達人を超えた超達人ですね。そりゃきっと神さまですよ。

それではまいりましょう、毎度のばかばかしいお話です。八ちゃんと熊の「失敗が怖いなら俺の爪を煎じて飲め」の巻き。

 

「おい、八ちゃん、居るかい?」

「何だ、へぇ、魚屋の熊が八百屋に来るなんて珍しいなぁ。こりゃ、もしかしたら、これから雨が降ってくるぞ」

「何だよ、ええ、俺が来たからといって、わざわざ雨を降らすこともないだろう」

「だから、熊が来るなんて珍しいと言ったのだ」

「おらぁ、なぁ、ちょいと八ちゃんに聞きたくてきたのだ。そんな、珍しい顔はやめてくれ。何話すか忘れてしまったじゃないか」

「心配するなって、忘れるあたりは何時もと変わりはしないよ」

「ああ、思い出した」

「ほれみろ、思い出したじゃないか」

「おい、八ちゃん。河童見かけなかったか?」

「え?カッパ」

「そうだよ、河童だ」

「熊の雨合羽(あまがっぱ)など、知らないねぇ」

「アマガッパ?そうじゃないのだ。良いか、河童の川流れの・・あの河童のことだ」

「何だとう?あの河童だって!」

「そうだ、あの河童をさがしているのだ」

「河童なら、ええ、腐りかけた魚が大好物というから、こんな八百屋には来ないよ」

「違うよ、八ちゃん。河童の川流れといって、河童が、きゅうりの腐ったのを、なまずと間違えて食っちまったのだ」

「え?何と言う河童だ。ええ、河童とあろうものが、きゅうりの腐ったのを、なまずと間違えるようでは、それこそ河童の川流れというものだ」

「だから八ちゃん。その河童を見かけなかったか?」

「そんな、きゅうりとなまずを間違えるような蓄膿症の河童など、おらぁ、知らねぇなぁ。ほれ、この先に耳鼻科があるから、そっちに行って聞いてみなぁ」

「河童が、耳鼻科に行くわけがないだろう」

「そんなこと分かるか。河童と言えば、人間によく似た動物だ。今頃、ここ痛い、あっちも痛いといって、寝転んで、診察を受けているかもしれねぇぞ」

「何!寝転んで診察だって。ああ、それより、八ちゃんとこの、ええ、きゅうりは大丈夫か?」

「何だ?きゅうりが大丈夫か・・だって?」

「そうだよ、河童の奴、口直しといってなぁ、新鮮なきゅうり盗んで食っちゃいないかと心配したのだ」

「おい、熊」

「どうした?改まって」

「いったい、熊は、何を追いかけているのだ?冗談が、ええ、さっぱり冗談じゃないみたいじゃないか?」

「え?冗談だって」

「だから、河童の話しだよ」

「それよ、俺はなぁ、河童の川流れを追いかけているのだ」

「おい、熊。河童の川流れというのは、熊が思って居るのとは随分と違うぞ」

「え?何が違うというのだ」

「河童の川流れというのは、どんなに偉い人でも間違えるということで、その道の達人でも間違えることがあるということだ。だから、熊のように、なぁ、河童の川流れを一生懸命追いかけてどうするつもりだ?」

「何を偉そうに言うか。河童の川流れというのは、三丁目の豆腐屋の、ご隠居の惣五郎さんのことだ」

「え?三丁目の・・あの豆腐屋のご隠居の、惣五郎さんだって!」

「そうだよ。三丁目の惣五郎さんのつくった豆腐はみんなからうまい豆腐と随分とほめられていたのだ」

「うまけりゃ、そりゃ、ほめられるだろう。それが、ええ、どうしたというのだ?」

「どうしたも、こうしたもあるか」

「それじゃ、わからないだろう。もうすこし、分かりやすく言いな」

「このやろう、まだ分からないのか?」

「魚屋の熊が、なぁ、河童の川流れを追いかけて、それ見つからないといって、そんな短気起こしてなんとする。そんな短気じゃ、河童の川流れが、本当に、どこかに逃げっちまうよ」

「え!逃げた?」

「おらぁ、知らねぇよ。ただ、当てずっぽうに言っただけさ」

「それと言うのはなぁ、惣五郎さんのうまい豆腐が、どんな調子か、そのさじ加減を間違い、これまでになくまずい豆腐をつくってしまったのだ」

「え?何時もと違って、まずい豆腐をつくってしまった。それが、どうした?」

「だから、どうしたもこうしたも、ないのだ。まだわからないのか」

「たったそれだけじゃわからないだろう。わけの分からぬ熊だなぁ。説明するのにいちいち熊が立ち往生して、何とするのだ?」

「何というお粗末。まだ分からないのか、ええ、八ちゃん?」

「このやろう、熊はいつになっても顔も悪いが、頭も空で、要領もわるい」

「おらぁ、悪くない」

「何だとう、悪くないだって?」

「ああ、そうだ。悪いのは、おらぁ、河童の川流れだといって、身代を息子に譲った惣五郎さんの方だ」

「河童の川流れなんて、ええ、河童が川流れをするなら、ええ、なかなかの芸達者なものじゃないか。河童が川で流れたって、河童が川で泳いだって良いじゃないか。ええ、猿だって、もたもたすりゃ木から落ちるのだ」

「ああ、八百屋に来たら、河童が猿になっちまった」

「何だ? おれんちに来たら、河童が猿になった」

「八百屋の八ちゃんも、気がおかしくなってきたぞと言ったのだ」

「気がおかしくなったって、なぁ、失敗なんてなことは、失敗したからと言ってそんなに深く反省すりゃ直るというものでもないぞ。失敗は、軽く反省すりゃ、そりゃ立派というものだ」

「ああ、八ちゃんは失敗を山ほど高く積み上げて、その山からときどき滑りおちているのだ。こりゃ、河童の川流れというものじゃないな」

「おい熊、失敗がそれほど怖いなら、おれのこの爪を煎じて飲んでみるか?」

 

お後もよろしいようで、

今日も一日生きちゃった源五郎

ことわざ用語:旺文社「国語辞典」1986年版参照