ちょっと怪し気なタイトルですが、記事ネタに乏しいので自分が二十代頃に体験した少し不思議な話をアップしようと思います。
創作話ではなく実話なんですがとくに怖い話でもありません。以前に記事に書いたことがあったかと、過去記事を検索しましたがまだ書いていなかったので気まぐれに書いてみました。かなり長文です😓
◆忽然と現れた旅館らしき建物
まだ若かりし二十代の頃、車の運転が楽しくて仕方なく、週末になると夜な夜な車を走らせて一人ドライブを楽しんでいました。週末の夜に家で過ごすのがもったいなくて、友人と遊びに出かけるか一人で車を走らせてドライブに出かけるのがいつものパターン。
ある夜、京都市の北区にある京都産業大学のグラウンド横の道を通って、雲ヶ畑という場所へドライブに行きました。以前、このあたりで「雲ヶ畑」という標識を見つけた時に、「雲」という字が付くので何となく神秘的というか幻想的な雰囲気のする名前に興味をそそられたのでした。
「雲ヶ畑の地名の由来(Google調べ)」
「山州名跡志」には、その昔、雲ヶ畑という地名は、いくつかの伝承や説によって説明されています。まず、岩屋山に薬王菩薩が降臨し、薬草を植えたところ、その花々が紫雲のように咲き誇ったことから「雲ヶ畑」になったという説があります。また、かつて「出雲ヶ畑」と呼ばれていたものが、略されて「雲ヶ畑」になったという説や、出雲氏の集落「出雲ケ畑」から「出」が取れたという説もあります。
それで、とくに用事がない週末の夜に雲ヶ畑に向けて出発し、車で走る事約1時間、大学のグラウンド前を通過しました。この道は府道61号線で、「雲ヶ畑」と書かれた標識がある。このまままっすぐ走って行けば目的の場所へ行けるはず。
そして山道へ入ると、道が狭くなるのと同時に家や建物はなくなり、ただ延々と暗闇の森の中を山の奥へと舗装林道が続いて行きます。
この頃はナビも高価で持っておらず道路地図のみです。まだスマホも無くてガラケーでした。とりあえず麓からまっすぐ雲ヶ畑の方へ走って、もし分岐が出て来たら地図を開いて考える。という方式で夜の狭い山道を走って行きました。道はずっと登りで山の上に方に向かっていて、集落もなければ人工的な建物は何もない、ただ森の中をひたすら走るだけです。 そして、自分の感覚では途中で分岐に出たとか枝道に入ったつもりもなく、まっすぐ道なりに麓から20~30分くらい走ってきたように思います。
そうすると、走って来た舗装道路が袋小路の行き止まりになってしまいました。そして左側に目をやると、そこには旅館(または料亭か)がありました。
「え?こんなところに旅館??」
画像はAIで生成したイメージ画像で、実際に見たものとは全然違います(なかなか思った通りの画像が作れない・・・)。実際のはジブリの「千と千尋の物語」にでも出てきそうな雰囲気の、小さめの2階建。提灯が軒下からぶら下っていて、周囲はガラス戸に覆われているような作りで、外から旅館の中がよく見えていました。
まず最初に、見た瞬間に驚きました。
こんな山奥で行き止まりの場所に、なぜ旅館が?
周囲は森しかないのに誰が泊まりに来るのか?驚きと同時に興味が湧き上がってきて、旅館の前に車を止めて車内からジッと建物を観察していました。
建物内部には廊下がぐるりと周囲を囲っていて(だったと思う)、フロントなのか売店があるのか、少し物でごちゃついている箇所が見えました。そして建物の中にある一つの扉が開いていて、そこから宴会場(または会議室?)らしき部屋の中が少し見えていて、いくつかの(背もたれが丸い形をしていた)椅子が並んでいるのが見えていました。そして旅館の中は灯などが煌々とついていてかなり明るい印象でした。中の様子を伺うかぎり料亭ではなく旅館のように思える。
山の中で、そこに存在する理由が見当たらないものに遭遇した時、凄く不気味さを感じることがありますが、この時がまさにそういう心境で、最初は興味深々だったのが色々考えながら観察しているうちに、段々と不気味に思えてきました。そしてその不気味さに少し怖さが混じるようになってきたのですが、それは外からは中の様子が丸見えなのに(それも変ですが)、中には誰の姿も見当たらない。人の気配がまったく無い。生活の音も一切聞こえない。灯はまぶしいくらいに点いているのに静寂そのもの。その不均衡というかアンバランスな状況が、より一層に不気味さを際立たせていました。これだけ灯が点いているのだから留守ではないだろう。あと数分くらい観察していれば誰か見かけるかもしれない。人の姿を見れば、さっきから感じている不気味さが消えてホッと安心できる気がする。従業員か宿泊客か誰でもいい。
しかし、見える範囲を隅々まで目を凝らして探してみたものの、いっこうに誰の姿も見当たらない。山奥で袋小路の行き止まりに旅館、明るすぎる建物は無人で静寂・・・と、矛盾が混在しているとも思える状況に、いよいよ不気味さが恐怖感に変わってきて、一刻も早くここから立ち去ってしまい気持ちになりました。そして、急いで車を何度か切り返し、走って来た道を引き返して麓まで降りてきました。麓で街の灯を見たらやっとホットしました。 そして帰り道でも、あれは旅館なのか料亭なのか、または別の施設なのか、気になって仕方ないので帰ったら調べて正体を突き止めよう。と思いながら帰宅しました。
◆不可解な点その1(そんな旅館は無い)
後日、あの旅館のことが気になって仕方ないので、ネットや雑誌で調べたり友人に聞いたりなど、雲ヶ畑周辺、京都市北区の宿やグルメ情報で調べてみました。何かしらの商業施設なら調べればすぐ詳細な情報がわかると思っていたのですが、該当するような旅館(袋小路の行き止まりにポツンとある旅館)はありませんでした。旅館や料亭ならどこかに情報が載っているはずだと、いくら調べてみてもそれに関する情報が得られずでした。
この時代はネットがあるといっても、現在みたいにSNSやYOUTUBEなどの動画投稿が盛んな時期でもなかったのですが、年々ネット環境が充実してきました。
この日の出来事は自分にとって、かなりインパクトが強く、この日から既に20~30年くらい経ってますが、数年おきくらいに定期的に調べていました。もし実際にあった旅館か何かだとすれば、今はもう無くなっているかもしれません。色んなキーワードで検索したりサイトを見たりしていますが、今のところ有力な情報は得られずです。
◆不可解な点その2(袋小路の行き止まりが見当たらない)
前述したように、京都産業大学のグラウンド前(61号線)をまっすぐ辿って山の方へ向かうと、洛雲荘(らくうんそう)という料理旅館があります(今でも存在している)。この出来事があった後日に調べたところ、まっ先にこの旅館の情報が出てきました。雲ヶ畑で旅館というと洛雲荘ということになります。だから、その時に自分が見たのは洛雲荘では無かったのか?と思いましたが、建物自体が自分が見たものとは全然違うし、周囲には洛雲荘以外の建物もある。洛雲荘に辿り着く前にはチラホラと集落もあります。それに、そもそも袋小路の行き止まりではありません。
自分の記憶では、例の旅館に着くまでは家など人工的なものは見当たらず、ひたすら森の中を走って辿り着いたと記憶しています。なので後日、もう一度旅館を探しに行こうと、今度は昼間に出かけて同じように61号線を麓から上がってみたのですが、地図のとおりで集落など超えて洛雲荘に着きます。景色も違うし袋小路ではありません。結局あの日と同じように何も無い森の中を走って袋小路に行きつく、という道が見当たりませんでした。一体、あの日の夜、どこをどう走ったのか。
オカルトっぽい話は抜きにして、現実的に考えてみれば、
「あの日の夜、61号線からまっすぐ走って行ったつもりではあったが、夜で見えにくかったので知らぬ間に枝道に入ってしまい、たまたま山奥にある旅館を見つけた(もしくは個人が趣味で建てた家とか)。そして、その後旅館は廃業なり移転して建物は撤去されて、袋小路であった行き止まりの道は、現在では道路工事により別の道につながっている。」
おそらくはそんなところなのかな、と思います。ただ時々テレビ番組で、パラレルワールドみたいな話を見ると、作り話だろうと思いつつ、
「もしかしたら・・・」
と思っている自分がいるのであります。