歴史で人気のある時代と言えば、(幕末)江戸末期と戦国時代でしょうか。僕も幕末モノは好きで司馬遼太郎の歴史小説「竜馬がゆく」は二十代の時に2回読みました。今、久しぶりに3回目読んでます。武将というと必然的に戦国時代の武将を思い浮かべると思いますが、武士が台頭した平安末期から魅力的な武将が数多く出てきます。

そんな中から、ベスト4を選んでみました。なぜベスト5でなく4かというと5人分書くのが面倒だからです笑



そういうわけで、第4位。
※サブタイトルは勝手に付けました。

●板額御前(はんがくごぜん)ー美しき女性スナイパーー

三大御前の一人。三大御前とは木曽義仲の妻の巴御前(ともえごぜん)、源義経の妻の静御前(しずかごぜん)と、この板額御前です。


父は越後を支配していた城資国(じょうすけくに)兄は城資永(すけなが)城長茂(ながもち)の二人。城さんの祖先は平氏です。だから平清盛と同じ流れ。途中から姓を城に変更したそうです。本拠地は現在の新潟県で白鳥山の山頂に鳥坂城を築きます。

板額御前が生まれたのは1172年なので、ちょうど平氏の全盛時代から平氏滅亡(壇ノ浦の戦い:1185年)までのゴタゴタの時代を生き抜くことになります。で、鎌倉幕府成立後のゴタゴタに巻き込まれて、短期間のうちに父と兄達を失ってしまう。

板額御前は甥にあたる亡き長兄の息子、資盛(すけもり・・・長茂の後を継いで当主になる)と、鎌倉幕府倒幕を目指して挙兵します。資盛は10歳くらいなので、事実上は板額御前(この時30歳)が家臣をまとめあげる。30歳の女性が一人で家臣をまとめ倒幕を掲げて戦争を起こすなんて凄いですね。

本拠地の鳥坂城に籠城するのですが、当然、幕府は見逃すはずもなく鳥坂城のある白鳥山は幕府軍で包囲される。
幕府側の佐々木盛綱軍は越後・佐渡・信州(現:新潟県&長野県)の大軍勢(人数は不明?)。資盛軍は1000足らずで兵力の差は圧倒的。しかし、板額御前は髪をかき上げて巻き、腹巻を付け、やぐらの上から矢を次々と放ちます。その腕は百発百中。当たると必ず死ぬと言われるほどの強い威力のある弓を引く、かなりの名手です。幕府軍の動きさえも止めてしまったようです。まさに女スナイパー。ただ、やはり多勢に無勢。幕府軍は徐々に山上の城に迫ってきます。そして幕府側の弓の名手が板額御前よりも更に高い場所で位置取り。甲冑の無い足を狙って矢を打ちます。矢は板額御前の太腿に命中。乗り込んできた幕府軍に捕らえられます。

そして捕虜になっても威風堂々とした凛とした態度に、敵方の浅利与一(この人もまた弓の名手)に見初められてその妻となり、甲斐の国(山梨)で一男一女をもうけ余生を過ごしたらしいです。山梨県には今も板額坂(はんがくさか)、坂額塚など坂額御前ゆかりの地を訪ねることができます。






次は、第3位です。

楠木正成(くすのきまさしげ)ー天才的戦略家ー



鎌倉時代末期、後醍醐天皇は幕府倒幕を企てたものの、計画がバレて、京都から脱出。籠城できる場所を求めて笠置山の笠置寺へ入る。(人気のキャンプ場である笠置キャンプ場のすぐ横)

ある夜、後醍醐天皇は不思議な夢を見ます。二人の童が現れて、

「南の方に枝が伸びている木の下に、あなたの席がある。」

という意味の言葉を言って消えていったということです。

南+木=楠 ということで、

「この辺りに楠木という名の武士はいるか?」

 

と、言って白羽の矢が立ったのが、楠木正成


ここから活躍が始まるのですが、この人はとにかく戦の天才。天下を取るには知略と武力の二つが必要で、武力ばかりで知力に欠ける幕府軍を倒すのはたやすい。(かっこええセリフ)というのが、この人の持論なのですが、次々を奇策を出しては幕府軍を打ち破ります。


・大軍を狭所におびき寄せて、挟み撃ち

・城の外壁を二重にしておき、外側はロープで固定。敵が登ってきたところでロープを切り、敵兵もろとも落としてしまう。

・自分の城に火をかけて、自害したと見せかけ、トンズラする。

・米俵の中に武器を隠して農民の格好をさせて、敵の城(上記で捨てた城)の前で、襲われる演技をする。敵は自分達の兵糧が目の前で奪われたと勘違いして、助けに来て城内へ入れてしまう。そこで武器を出して攪乱し、城を取り戻す・

・藁人形に鎧を被せて、兵に見せかけて攻撃。敵がやっつけに来て、藁人形だと気づいた時は手遅れ。人形もろとも岩を落としてやっつける。



などなど、数では圧倒的有利なはずの幕府軍はいっこうに楠木に勝つことができません。

最後は楠木の戦略が後醍醐天皇に受け入れてもらえず、負け戦になると知りながら戦って、命を落としてしまうのです。それでも戦に出る直前に、息子には、

「自分は命を落とすかもしれないが、後醍醐天皇に忠誠を尽くすように」

と言い残して出陣したということで、最後まで武士としての誇りを貫いたのです。

ちなみに後醍醐天皇の不屈の倒幕運動はなかなかの執念です。何度捕まっても脱走し倒幕を企て、足利尊氏と組んで鎌倉幕府を倒して、室町時代になると、今度は尊氏と対立して南北朝時代を作って・・・と。
楠木正成については、太平記に詳しく載っているので(漫画もある)興味があれば読んでみるといいですね。



第2位

上杉謙信(うえすぎけんしん)ー男らしい義の武将ー


上杉家は先祖を辿れば、藤原重房という藤原氏に行きつきます。 幕府から上杉荘という領地(荘園)をもらったことで上杉に改名。

ただ、上杉謙信はもともと上杉ではなくて、長尾さんです。長尾景虎(ながおかげとら)という名でした。長尾家は上杉家に仕えていたのですが、やはりそこは戦国時代。上杉家は北条氏にボコボコにされていたので、本来は家来である長尾家に助けを求めます。それだけではなく、「アンタ、上杉家継がへん?」と。家来に自分の家を継いでもらおうなんてかなりの異例ですね。子会社の社長が親会社の社長になるようなもんです。そんな経緯があって、長尾景虎は上杉謙信となります。ここらへんの事情は詳しく調べると、かなり複雑です。上杉家も分家が沢山あるし、調べている間に混乱してしまいます。
 

上杉謙信が行った施策で有名なのは、武田信玄に塩を送ったことですね(敵に塩を送るの語源)。当時、武田信玄の甲斐の国(山梨県)には海が無かったのですが、それをいいことに敵対関係にあった今川氏は塩を輸出することを禁止してしまいます。これには信玄はかなり困ったようですが、そこへ上杉謙信が塩を送ったという美談です。
 

これには諸説あるのですが、塩を送って助けたとする説と、特に輸出(商売)を禁止しなかった。など。そして塩が足りないことに付け込んでの値上げは禁止したらしいです。「戦は弓矢をもって行うもの。塩止めで民を苦しめることはしない。」というのが持論のようです。いずれにしても姑息なことを嫌う、義なる武将と呼ばれるに相応しい武将だと思いますね。

武田信玄とは川中島の戦いで5回も激突し、最後まで決着がつかなかったことは有名ですが、 信玄が病気で死ぬ間際に息子に向かって、

「謙信を和議を結べ。謙信はをお前の弱みにつけこむことはしない。和睦をむすべば頼むと一言いえば良い。謙信はそう言ってもよい人物だ。」

と言い残したそうです。謙信も信玄の死を聞き悲しんだとの話もあります。

生まれる時代が違ってさえいれば、この二人の関係はどうなっていたのかと、想像するだけでロマンが広がりますね。





そして、栄えある第1位です!

源義経(みなもとのよしつね)ー物語の主人公としては最強ー

(この絵だと、なんとなく吉本新喜劇の坂田○○氏に似てますね)

第1位はかなりベタというか王道です。大河ドラマは全然見てませんでしたが。義経ほど物語の主人公として面白い人物はいません(自分比)。義経にまつわる話は逸話も多いですが、それも含めて面白い。
そもそも平治の乱で平清盛にボコボコにされた源氏ですが、源頼朝と義経は温情で死罪を免れ、頼朝は島流し、義経(牛若丸)は京都の鞍馬寺へ。(←将来は僧侶にして謀反を起こさないようにする為)まさか、将来この二人の活躍で平氏滅亡に追い込まれるとは清盛も思わなかったのでしょう。

鞍馬寺では、遮那王(しゃなおう)と名乗り、天狗に修行を受ける。五条大橋での弁慶との戦い。平氏との戦いでは、崖を馬で駆け下りて奇襲(一ノ谷の戦い)、壇ノ浦の戦いでは船から船へと飛び移る八艘飛び(はっそうとび)。などなど次々と奇策を打ち出し、人間離れした逸話も相まって、物語の主人公としての題材には事欠かない。

鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝らと共に平氏滅亡を果たすわけですが、考え方の違いから頼朝に自害まで追い込まれてしまったのは残念ですが。

この義経の生涯を、現代技術を駆使したアニメで制作してくれないかな~と思ってます。五条大橋での弁慶との戦いとか八艘飛びなんて実写では無理があるので、アニメなら何でもできるので。

人気アニメの鬼滅の刃で序盤では、天狗の面を被った鱗滝左近次に山中で炭治郎が修行をつけられますが、この義経の鞍馬寺での修行と被るところがあるな~と個人的には思います。

ちなにみですが、遮那王というタイトルの漫画コミックがあります。義経の生涯を描いたようですね。読んだことはありませんけど。

 

歴史は人によって、好き嫌いが分かれると思いますが、ある程度流れを掴めば結構面白いです。特に自分が住む土地の歴史を調べてみるのも面白いでしょう。