家から歩いて一時間も掛からずに行ける小さな秘境。
そこに水量の少ない沢があります。
こういうチョロチョロと流れる静かな沢の音が落ち着いて好みなんです。
万葉集にも生き物、自然に関する歌がたくさん出てきますが、そもそも和歌というのが日本独自のもので、しかも万葉集というのは天皇から農民まで様々な人の歌が同じ万葉集に収められている。和歌の前に身分は関係無いという姿勢の表れで世界的にも珍しい。そういうことも考えると日本は情緒が深い国だな~と思います。
なぜそんなにも情緒に溢れているのか、考えたりもするわけですけど、日本は四季がはっきりしていて、その上、森林が豊で、自然と共に(時には驚異も感じながら)暮らしてきた民族だからなんだな~というのが自分の持論なのですが、それの真偽は別として、70年代くらいに東京医科歯科大学の角田忠信(つのだ ただのぶ:1926年~)名誉教授が発表した角田理論(つのだりろん)によると、どうやら日本人には他に無い特異性があるらしいです。脳の働きが日本人は他と違うとか。正確に言えば、日本語を母国語とする人のことで、外国人でも日本語で育った方は日本人と同じ。日本人でも海外育ちなら違うと。
その内容を要約すると(内容について多少の相違はご容赦ください)、
虫の音は日本人にはよく聞こえているのに、西欧人には聞こえていないということがあった。というところから研究は始まるのですが。
人は皆、脳が左脳と右脳に分かれていて、それぞれ機能というか得意分野が違う。左脳は言語脳といい、人の話す言葉の理解や計算などの知的、論理的作業を行う。これに対して右脳は音楽脳といって、音楽や機械音、雑音を処理するのに優れている。
ここまではどの国の人も同じ。違うのはここからです。
日本語を母国語としない人は、虫や動物の声を音楽脳で処理している。脳の中では虫の音は雑音として処理される。それに対して日本人(日本語を母国語とする人)は、同じ虫の音でも言語脳で処理する。脳は言語として処理している。そして虫や動物だけでなく、水の音や風など自然の音までも日本人は言語脳で処理している。
日本人は左脳の負荷がかなり高いらしいですが、何故そんな脳になっているかというと、その理由は、母音の使い方によるとのこと。日本語の母音である「あ・い・う・え・お」の音が自然の音に似ていることから、脳は言語として受け取っているということらしいです。(犬はワンワン、猫はニャーニャー、雨はシトシト、ザーザー、スズメはチュンチュン・・・ 聞こえるものは何でも言葉で表すのは日本語の面白い特徴だと思ってましたが)
だから、日本人にとっての鳥や虫の声は、言葉を聞いているようなものなんですね。動物の声も自然の音も脳は言葉として聞いて処理しているので、そういう音がよく耳に入り、鑑賞して楽しんだりする文化が生まれて万葉集のような和歌集が出来上がるのかなと。冒頭のなぜの答えはそういうところにあるのかも知れません。
母音を主体とするのは日本とポリネシアだけ(ポリネシアって諸島ですがどこの国を差しているのでしょう?)で、この両国では同じような特徴がみられるということです。ちなみにこの角田理論は、80年代の発表当初、多くの支持を得ながらも国内外にて、批判、罵倒を浴びることとなり、あまり表に出てこなかったようです。当時は音源と物理的方法によって実験を行い(ツノダテスト)、それが再現性が無いなどの理由でかなりの批判にも合ったみたいですが、時を経て、ご子息の角田晃一氏(東京医療センターの部長らしいです)と最新テクノロジー設備による実験によって、この角田理論の裏付けが取ることが出来、ようやく国内や海外から評価されるようになった。というのがここ4、5年くらいの出来事で最近の話ですね。
興味のある方は角田理論で検索すれば、もっと詳しく出てきますので調べてみてください。
兎にも角にも、そういう脳になっているということならば、これはもっと山に行って、鳥や虫、自然の声を思う存分楽しむしかないとな~と思います。