ざこねぐら

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ゆっくり枯れていく

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「先生、私は死にたいのです」

 

少年のようにか細い青年は、老人のように弱弱しく、そう、のたまった。

 

「どうして、死にたいのかな。答えにくければ、無視してくれて結構です」

 

「分からないのです。分からないのです。だから死にたいのかもしれません」

 

目は虚ろではなく、ただ弱い。

 

彼は、疲れているのだ。

 

典型的な鬱の症状。

 

分かるとも、君の弱い部分も、強い部分も、分かるのだ。

 

「もっと、無責任に生きたらよろしい」

 

青年は、不思議そうな顔をしている。

 

「君は、必要以上の責任感と罪悪感で苦しんでいるようだ。すべて投げ出しなさい。

 

 それが難しいなら、せめてそうなれるよう努力してみなさい。

 

 ”人間の屑”になる努力だよ。君は若く、優秀で、正しく、誠実であるようだ。

 

 それが君を苦しめている。だから、もっと悪く、ずるく、怠惰に、…自分のことだけを考えない」

 

髪の毛の色が、黒よりも白が増し、気がつけば疲れた顔に皺ができ、随分と目も見えなくなった。

 

生きていく理由よりも、死ぬための理由を探して日々をすごした。

 

それでも、まだしぶとく生きている。

 

嗚呼わかるとも。君の悩みも、分かるとも。人の痛みが分かるのは、とても、苦痛だ。

 

「先生は、死にたいと思ったことはありますか」

 

青年は、私の目を見た。

 

「あるとも。毎日だ。今だって死にたい。いつだって死にたい。さっさと誰かが殺してくれれば

 

 よかったのに、誰も殺してはくれなかった。」

 

「頭の中にね、女の子がいるんだ。その子がね、いつも泣いているんだ。

 

 そしていつも決まってこう言うんだ。『早く殺して』 と、『早く死ね』 とね。何年も、何十年も」

 

青年は、呆けたような顔をしている。

 

何を言っているのか、理解はできないだろう。

 

だが、通じるものがあるようで、すぐに涙ぐみ、顔をゆがませた。

 

「なら、どうして、生きていられるのですか。今でも、どうして笑っていられるのですか」

 

私は優しく、青年に微笑んだ。

 

とても、穏やかな気持ちだった。

 

彼の喉元に、手に持っていたペンを差し込んだ。

 

血は出なかった。

 

だが、すぐに目が黒いガラス球のように無機質になり、真っ白な部屋の、椅子の上から転げ落ちた。

 

「薄幸の少女だろうと、魅力的な女性だろうと、”昔の私”だろうと、何だっていい。

 

 形を与えて、殺すんだよ。余計なものは、形を与えて、殺すんだ。そうして、ようやく生きてこれた」

 

 

私は、足元に転がった彼を本棚にしまい、安楽椅子に腰掛けた。

 

真っ白な部屋と、真っ白な私は、まだ生きている。

 

 

残念ながら、まだ、生きている。

 

 

 

誰か待っているわけもない暗い部屋へ、ただいまと声をかけた。

おかえり、と声が返ってくる。

 

いつからだったか、頭の中に住んでいる誰かと言葉を交わすようになった。

それは会話という会話にはならなくても、唯一の心の拠り所であったし、

それが私の心の壊れていっている証拠であると自覚していた。

 

手元の携帯のわずかな光で部屋を照らして、荷物も適当に投げそのままベッドへ倒れこむ。

 

今日は、何をしていたのだろうか。

何の意味があったのだろうか。

今日に意味が生まれるのはきっと何年も後の話で、

そして一日たりとも今日を投げ捨ててはいけず、

これは地獄で、地獄の先にはきっと無があるのだと思った。

 

あー、と声を出してみる。

仰向けの私の首を絞めているのは、私だ。

頭からミキサーに入れられても逃げ出すまい。

 

死にたいのか、と問うてみる。

少なくとも生きているのは辛い、と答えてみる。

 

いつまで戻ればいい。

いつまで戻れば、私は狂っていない私だっただろうか。

このまま、また次の地獄を待って、いつになったら救われるかも分からず。

 

「先生」

 

目の前に少女がいる。

白い少女だ。

顔も服も背格好も分からないが、私を見つめる少女がいる。

 

「早く死にましょう、先生」

 

なんと優しい言葉だろう。

なんと甘い誘惑だろう。

そうだ、自分で決めたのではない。

私はこの少女に誘われて死ぬのだ。

それは殺されることと、どう違うだろう。

ああ、死にたくないのに殺されたいだなんて。

 

「先生、もう十分です。死にましょう、死にましょう」

 

一緒に死んでくれる人がいる。

それなら怖くはない。

だから、死ななければ。

早く死ななければ。

少女がどこかへ行ってしまう前に。

私が少女の声を聞けるうちに。

 

死のう。

死のう。

今日こそ死のう。

 

 

そして、また、朝が来る。

 

施設の中に微かに聞えるような大きさのオルゴールメロディーが響いている。

それはきっと、そこにいる者に安心感を与え、あるいは不眠に悩む人に

眠気を誘う効果があるのだ、と自己解決した。

 

「先生、私はどこもおかしくないのです」

 

上から下まで真っ白な老人に、私は目線を逸らさず語っている。

ほうら、目もいいのだ、見てくれ私の目を。

下水道のように濁った目の色をしてはいるが、視力はいいのだ。

 

「だから私がここにいて、先生とお話する意味もないのです」

 

老人は薄く笑っている。

彼はきっと困っている。

さてどう切り出せばいいのか、と一言目を気にしているのだ。

 

「まず、初めにひとつ。質問をします。答えられなければ、いや答えたくなければ、

 首を横に振ってくれればよろしい。なんなら、無視してくれても結構。」

 

老人は痒くもないであろう頭を指先で掻き毟る。

それは誰かの癖に似ていた。

 

「あなたの名前を、教えてください」

 

「名前、ですか。……はぁ。名前を……」

 

おかしなことを聞く老人だと思った。

きっと彼は痴呆なのだろう、あるいは私の頭のほうがやはりおかしく、

その当たり前の質問の意図をはきちがえ、キチガイ染みた思想になっているのだ。

 

私は、私の、名前を、口に、出した。

 

老人はしばらく私を見つめ -とても綺麗な目だったー 手に持っていたペンで、

手元の紙に何かしらを書き込み始めた。

 

「はい、分かりました、ありがとう。それでは次の質問だ」

「これを見て、何でもいい、感想を聞かせてください」

 

老人が私に見せるように、手元にあったA4サイズくらいの板切れを掲げた。

板切れには部屋の景色が描かれているような、あるいは真っ白な、あるいは、本棚。

顔こそ分からないが、人、が写っている。誰だろう。

 

感じたことを、そのまま答えると、老人はまた薄く笑った。

 

オルゴールメロディーが、耳障りに脳みそを揺らしていた。