こんにちは、ぺいです
前回の『母親と取っ組み合い事件』に引き続き。
家出のその後について、イックヨーー
母との取っ組み合いをなんとか抜け出し、実家から逃げるように出たわたし
それからというもの、母からの鬼のような連絡はパッタリとなくなりました。
その分、父から連絡が来るように。
父も怒っていないわけではなかったけど、母とわたしの間に起きたことやわたしの安否の方が気がかりなようで、数日後、父と会うことになりました。
わたしの家出の理由。
『お金がない』
全部、正直に話しました。
母への不満も。
父はマナーや目上の人への態度などには口うるさく(暴力も)あったのですが、なぜか非行系には寛容で、意外にも聞く耳を持ってくれていました。
実は家出中、わたしに心境の変化があり専門学校に通う意味も見失っていました。
なんのために家出までして通学の定期代なんて稼ごうとしているんだろう。
わたしは友人まで巻き込んでなにをしているんだろう。
わたしは、、、わたしは、、、
なにがしたいんだろう。
わたしってなんだろう。
もちろん、自分の選択が合っていたとは思いません。
だけど、当時のわたしには親は頼る相手ではありませんでした。
専門学校の学費や諸経費、実家での暮らしがあるだけでも贅沢だ。
そう思われても仕方ないとは思う。
わたしはきっと欲深くてわがままな人間なんだろうとも思う。
だけど、わたしの友人関係に亀裂の入るようなことをしていい理由になるのかな?
この感情もいまだに拭えません。
無気力。
当時のわたしはまさにその状態でした。
今でこそ、自分大好き人間ですが、
当時のわたしは自分のことが嫌いで嫌いでしょうがなかった。
母を嫌いだと思うくらいに、、、
自分のことも嫌いだった。
そんなわたしの話を聞いてくれて、一緒にいてくれて、元気づけてくれて。
間違ったときは軌道修正してくれる、そんな友人たちなんです。
わたしは生きるのが不器用で、人生の選択をいつも間違えてきた。
まわりの環境が悪ければとことん落ちていたと思う。
わたしがそれほど道を反れずにやってこれたのは、友人の存在がものすごく大きいんです。
結果からいうと、今回の件でわたしから離れる友人はいませんでした。
わたしの母親がやばいということは周知の事実となりましたが、それを理由にわたしと縁を切る子なんていなかった。
だけどね?
わたし、そんな良い友人たちに大迷惑かけてんのよ。
今まで通りにできるわけがない。
申し訳ない気持ちが先行して、今までのように振る舞えない。
家出の最中、父と居酒屋で話し合うことになりました。
わたしは父に伝えました。
『もう専門学校に行く意味もわからない』
『こんなことになってまで定期代を稼ぐ意味もわからない』
『専門学校はやめて仕事を探す』
根本には”はやく自立して家を出たい”という気持ちがありました。
実家にいたらいつまでも母と離れられず、自分が壊れる。
そう思ったからです。
父は納得してくれました。
わたしはまたその数日後、実家に帰りました。
母には父からある程度、話の内容を伝えてくれていて、すんなり辞めさせてもらえるとは思っていませんでしたが、思いのほかあっけなく話が進み、夏休み明けにわたしは退学することになりました。
母はわたしを諦めたようでした。
実家に戻ってからというもの、わたしは家族との会話もなく、友人と遊ぶこともなく、ただ仕事を探しながらバイトに通う日々。
誰にも会いたくないし、きっと会ったら泣けてしまうし、あんなことになるのならわたしはもう誰にも関わるべきではない。
相変わらず門限は22時頃。
夜はひとりで出かけられないので、朝の早い時間帯に親の車を借りて友人たちとよく行っていた夜景スポットに行き朝日を見ながら泣く。
これが日課に
完全に病んでるねw
旦那氏と出会うまで、しばらくこの生活がつづきました
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