身に覚えのない壮大な夢を見て目を覚ました。既に時計の針は十字を回ろうとしている。午前はあと二時間しか残されていないのかと自分に失望し、憂鬱な気分で起床した。

早く起床したところで、恐らく気分はさほど変わらなかったに相違ない。私は岐路に立たされているのだ。

愛人が進学のために千葉へ引っ越す。一方の私は地元に残る。恋愛を続けるか続けまいか、結論を下さねばならぬのだ。

互いの生活を尊重すれば、どちらの選択も間違った選択にはなるまい。然し、この恋愛関係を断ち切った場合、何か別ののものまで放棄することになるのではないかと、根拠のない妄想に取り憑かれ恐れ慄いていた。

考えを堂々巡りさせながら布団にくるまっている内に、既に時計の針は三時を回ろうとしていた。これはいけない、こんな陰鬱とした日こそ日光を浴びなければ精神衛生上よろしくないぞと、強迫観念に襲われて外出を試みた。兼ねてから楽譜を買いに行くという予定はあったので、買い物に行くことにした。

愛人は引っ越しの準備で甚だ忙しいらしく、相談できる日時を教えて欲しいとLINEを送ったきり既読すらつかない。電車に乗っている間、胸中に酸化被膜で覆われた金属球でも埋まっているかのような不安を抱いた。

仙台で下車し、楽器店まで歩く。トゥロヴァトーレのデュエットでも聴いて気を紛らそうとするが、雄々しいバリトンはいつものように心に響いては来ない。

帰途、スターバックスに寄り道をした。緩やかな時間の中に身を置き、気を紛らせたかった。カフェアメリカーノを頼み、窓際のカウンター席に座って往来を眺める。流行りの疫病のせいで人通りは平年より少ない。ショパンのロマンスラルゲットが鬱々とした気分に寄り添ってくれるようだった。ワルシャワにでも行ってみたいなどと空想した。

眼下には、タクシー乗り場やバス乗り場の広いスペースが広がり、その向こうには多くのビルが屹立している。四谷学院の看板が一際目を引いた。

ふと正面を見ると、目の前が柱で陰になっていた。然し、実際私が見ていたのは柱ではなく、自分であった。この日初めて、自分を客観的に見たのである。

その瞬間、図らずも自分の内面までもが客観視された。たとえ恋愛をここで断ち切ったとして、それで自己が全て瓦解するような男には成長していないはずではないか。そんなうぶな時期はとうに乗り越えている。自分は何を怖気付いているのか。どんな結論に至ろうと我が道を切り開けなければ、今後どのようにして生きていけるというのか。

胸中の金属球の正体は、アルミニウムだったようだ。金属球の表面は還元され、軽くなり輝きを増した。

虚像で現れる自分には、姿だけでなく、時に自分の本質までもが映り込むようである。