今日、お能の勉強で
先生から ご紹介された 演目 ~砧~
「世阿弥と言えば 砧
砧と 言えば 世阿弥。というぐらいの代表作です。」
この演目は まだ 観賞したことがなく
東京時代、職場から この名前の付いた
砧公園が 近くにあり
いつも お散歩に出かけると
世阿弥のことを 考える時が あった。
でも 新卒の若い私には
夫の帰りを待つ 妻の心情や
疎んじられた夫への思慕など
まったく想像のできない世界。
今年は 奇しくも
世阿弥生誕650年…
改めて この 『 砧 』 について 勉強してみようと思うのでした。
『 砧 』 (きぬた)は、世阿弥晩年の作といわれる。
成立は室町時代。
夫の留守宅を守る妻の悲しみが描かれており
詞章、節づけともに晩秋の物がなしさを 表現し
古来、人々に好まれてきた能である。
「砧」とは
木槌で衣の生地を打ってやわらかくしたり
つやをだしたりする道具のこと。
この作品では
女主人公が 砧を打つことが、情念の表現になっている。
秋の扇とともに 砧 という 「モノ」は
忘れられた女性の寂しさと
忘れ去った者に対する恨みを表徴する。
この作品はその表徴を 早い時期にだしてきたもので
後年、箏曲「砧」などに発展してゆく。
また俳句の秋の季語としても、「砧」「砧打つ」などが用いられる。
世阿弥は、この自信作について
「静かなりし夜、砧の能の節を聞きしに
かやうの能の味はひは、末の世に知る人あるまじければ
書き置くもものくさきよし、物語せられしなり」と語っています。
この能の趣は
後世の人には理解されないであろう。という
世阿弥の嘆き通り、砧はやがて上演されなくなり
謡だけの曲として 長く伝えられてきました。
「砧の能の節を聞きしに」という
世阿弥本人の言葉から
この曲の妙味が、謡にあるということが 伺い知れることでもあります。
~砧~詞章
八月九月。げに正に長き夜。
千声万声の憂きを 人に知らせばや。
月の色 風の気色。
影に置く霜までも。
心凄きをりふしに。
砧の音 夜嵐 悲の声 虫の音。
交り落つる露涙。
ほろほろ はらはら はらはらと。
いづれ砧の音やらん。
<蘇武の妻の砧の故事>
漢王の命で
胡に攻め入り捉われの身になった蘇武
蘇武の妻が、遠い異国の夫の身を想い
夫の為に高楼で砧を打つ。
その思いが通じたのか
万里の外なる蘇武の旅寝の夢に
故郷の砧の音が聞こえたという。
