「預言者ヨナ、逃げる。」

 

今回は旧約聖書の中でも異色中の異色、

「預言者ヨナ」の物語について語っていきます!

 

舞台はイスラエルから、当時世界最強だった国「アッシリア」へ。
 

神様は言うわけですよ。

「ヨナよ、アッシリアの首都ニネヴェに行って、『お前たち滅びるぞ!』って言ってこい!」

ええ!?って思うじゃないですか。
でもヨナ、嫌がるんです。

「なんで俺があんな残虐な連中のために命がけで行かなきゃいけないんだ!」
「神様が赦すかもしれないから行きたくない!」って!

え、ちょっと待って?
預言者って、神の言葉を人に伝えるのが仕事でしょ?

それを拒否する!?

そうなんです。
このヨナ、実はものすごく「人間臭い」預言者なんです!!

 

 

 

【ヨナ、逃げる!逃げまくる!】
 

神の命令を受けたヨナ、なんと逃亡を図ります。
真逆の方向「タルシシュ」ってところ行きの船に乗っちゃう!

「神から逃げよう」って。
しかもそれ、海路で!笑

でも神、当然気づいてますよね。

嵐を起こす!船が沈みそうになる!

「これは誰かのせいだー!」ってなって、船の乗組員たちがヨナを問い詰める!

ヨナ、観念して言うんですよ。

「俺が悪いんだ、俺を海に投げろ…」

結果、海に投げられます。

が!

そこで現れるのが…!

そう、大魚!!🐋

「大魚に飲み込まれ、三日三晩その腹の中にいた」

これはまさに、古代世界最大のサバイバル!

 




【ここで一旦整理!】
 

なんでヨナは逃げたのか?

ポイントは「赦せないから」なんです!

アッシリアってね、イスラエルにとってはめちゃくちゃな敵国です。
人を杭にかけて皮を剥ぐ、なんて凄惨なことやっちゃってるイ○れてる国です。

拷問・虐殺・植民地支配…もう憎しみMAX。

そんな彼らが「悔い改めたら赦される」?
ヨナにとってはそれ、許せなかった!

「えっ、神様ってそんなに甘いの!?」って。

つまりこの話、ただの預言者冒険譚じゃないんです!

 




「神の赦しと人間の葛藤」

ヨナ、三日三晩、魚の腹の中で悔い改めるんです。

「ああ、神様…ごめんなさい。もう逃げません。やります。」

すると!

奇跡が起きる!

魚、ヨナを吐き出すんです!

ヨナ、命拾い!そして再び神の声!

「ニネヴェへ行け」

…今度は行きます。

 

 

【ニネヴェでの宣言】

 

さあ!いよいよ本題、ニネヴェに到着!

ヨナ、宣言します。

「あと40日でニネヴェは滅びる!!」

シンプルでド直球なメッセージ。

そしたら、まさかの事態が起こるんです。

なんと!

ニネヴェの人々、悔い改めるんです!全員が!

市民どころか、王様まで断食して、着てる服をボロ布に変える!
しかも「牛や羊まで断食させろ!」って王が命令しちゃうんですよ!

動物にまで!?って思うでしょ?
でもそれだけ「本気で謝る」って空気になったわけです。

 

 


【神、赦す。ヨナ、怒る】
 

ここで最大のクライマックスが来る!!

神、赦す。

「よくぞ悔い改めた。ニネヴェを滅ぼすのはやめよう」

って言うんです。

すると、ヨナ……ブチギレます!!!

「だから言ったじゃん!あなたは情け深くて、赦しちゃう神なんでしょ!?俺はそれが嫌だったんだよぉぉ!」

ここがすごいんです。

神に文句を言う預言者。
救われたのに怒る主人公。

ねえ、これって一体、何の話だと思います?


【この物語の本質】
 

ヨナが怒っている理由。
それは、「憎しみを持つ相手が赦される」という“理不尽”。

ヨナにとって、アッシリアは絶対に赦せない存在。

その相手が「ちょっと悔い改めた」くらいで赦される。
散々悪いことしてきた不良が、ちょっと反省しただけで評価爆上がりみたいなあの感じ。

「それって正義なの?それで本当にいいの?」

ヨナは、人間として、感情の中で戦ってるんです。

ここで神がある“たとえ”をします。

 


【神とヨナの問答:植物のたとえ】
 

ヨナはブチギレたまま、町の外でふてくされて座ってるんです。

そしたら神が、ヨナの頭上に「とうごまの木」を生やしてあげる。

ヨナ、日陰で快適!

でも翌日、その木を枯らす。

ヨナ、また怒る!

「なんでこんな小さな木がなくなっただけで、そんな怒るの?」

神が言います。

「たった一晩で生えた木にすら、失われるのが悲しいと感じるお前が、
十何万人もの人間と無数の動物がいるニネヴェの滅亡を、悲しまなくてどうする?」

ここで神の視点が炸裂するわけです!

ヨナ=正義。神=慈悲。




【赦しとは、誰のものか?】
 

つまりこの物語、「赦しって何か?」という問いなんです。

✔️ 自分の正義と他人の命がぶつかった時、どう判断するのか。
✔️ 相手が過ちを悔いた時、自分はどう向き合えるのか。
✔️ 赦しは、感情じゃなく、神(=原理)の領域なのか?

「たった一夜で育った木を惜しむなら、十数万人の命をなぜ惜しまないのか?」

この問い、めちゃくちゃ深いんですよ!!

 


【神のセリフで、突然、物語が終わる】
 

驚くべきはこのあと。

神がその言葉を言ったその瞬間に……
物語、終わります。

え!?って思いますよね?

✔️ ヨナがどう感じたのかも描かれない
✔️ ヨナが変わったかどうかもわからない
✔️ ニネヴェの未来も、ヨナの行動も、不明!

普通こういう話って、「そしてヨナは気づいた…」とか「人々は平和に暮らしました」とかあるじゃないですか。

でもヨナ書は、神の問いかけのまま、終わる。

ここが最大のメッセージなんです!


【神の問いかけは、“読者への問い”】
 

この終わり方、実はめちゃくちゃ仕掛けられてる。

ヨナが悔い改めたかどうか、書いてない。
なぜか?

それはつまり、「あなたは赦せるのか?」と、
読者に突きつけているからなんです!

✔️ 憎い相手が悔い改めたとき、あなたは赦せる?
✔️ 過去に自分や家族が傷つけられた相手が、今謝ったらどうする?
✔️ 「赦し」と「正義」がぶつかったら、どちらを選ぶ?

この問いを、神は「ヨナを通して」読者にぶつけてるんです!!




【そして、現代へ】
 

じゃあ、この物語が現代にどう響くのか?

現代社会にも、ヨナはたくさんいます。

✔️ SNSで謝罪しても「許せない」と炎上が続く
✔️ 戦争・歴史問題で「謝ったら終わりじゃない」と許さない声が上がる
✔️ 自分の過去の被害と、相手の悔い改めを天秤にかけてしまう…

そう、人間って簡単には赦せないんです。

だからこそ、神が言う。

「お前がその木を惜しむように、私もこの街を惜しむんだ」

つまり神の目線とは、
「理屈」や「感情」ではなく、
“命そのものを大事にする”という視点なんです。

ヨナは、預言者です。

でも完璧じゃない。
むしろ、人間臭くて、矛盾だらけ。

そんな彼を通して、神は私たちに聞いている。




「あなたは赦せますか?」

これが、「ヨナ書」という短い物語が、何千年も語り継がれる理由なんです。

ヨナという、逃げて、怒って、葛藤して、それでも神に問いかけられた預言者。

私たち自身が、もしかしたらヨナなのかもしれません。

赦せない気持ちと、赦すという選択。

それを考えるきっかけとして、ヨナ書は今の時代にこそ、響くんです。

 

 

 

さらに深く知りたい方はぜひ新十四日派の元記事をご覧ください。

 

 

 

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