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ハイトウ整理術

リンク→o拝藤チサトってどんな人??

 

私は3姉妹の長女です。

そして、私は娘一人息子一人を産みました。

だから、娘は長女です。

 

 

長女の人って多いですよね。

 

 

 

子供が2人だったとしても、

1人が男の子だったらもう1人の女の子は長女になるわけだし、

女姉妹の上の子も長女だし、

一人っ子でも長女になるわけです。

 

 

そして、私が思うのは、よくも悪くも長女とは、お母さんの機嫌を察知しながら、家庭の調和を保とうとする経験を持ったことがあるのではないかということです。

 

 

私は、父も母も人として良い人だったと思います。父も母も大好きです。

 

私が小さいとき〜学生時代の話です。

 

 

父が仕事で忙しい時、母は1人で子供3人のお世話をすることに精神的に疲れていたし、そこに対する癒しとか慰めみたいなものが存在しなかったために、怒りの矛先が子供に向かう時がありました。

 

 

そして、その矛先は多くの場合、

長女である私に向けられました。

 

 

小学生のときには、母が機嫌が悪いのは、私が悪いことをしたからじゃないかと思うことも多く、私が堂々としていると、母はイライラとし、私が申し訳なさそうにすることを望んでいる様子さえありました。

 

 

今思えば、インターネットもなく、友達も多くない母親の、精神的なはけ口が、どこにもなかったことを想像できますが、小学生の私には、それはとっても苦しい時間でした。

 

ガミガミと永遠に嫌味を言ったり

怒っている母を見て

また始まった、、と思っていました。

 

 

何を答えても最後まで怒られるので

質問に答えることすら、苦痛な時間でした。

 

 

相対的に見れば、学生時代は、

楽しかった時間もたくさんあり、母が私にしてくれたこともたくさんあるにもかかわらず、このような思いが今でもゼロにはならないということは非常に残念な経験であります。

 

 

そして、その時の悲しかった思いとか、辛かった気持ちは、母に伝える機会もなければ、誰かに吐露することもできずに、ずっと私の中でくすぶっていました。

 

 

父親はそんな様子をなんとなく気づいてたかもしれませんが、家を開けて、何日間も海外に行ったりするような仕事に就いていたので、それはそれでしょうがないというような感覚だったと思います。

 

 

もちろん、私はそんな家庭の状況を、他の家族に話すこともありませんでしたし、学校の先生に言うことも、外で話す機会はありませんでした。

 

 

そして、このような経験を多くの女性がしているのではないかと思います。

うちが、毒親だったというつもりはありません。いわゆる、いたって普通の良い親だったと思います。

 

 

それでも私の気持ちには過去の記憶が残っているんです。

 

 

今は、丸くなった、70代の母に、当時のことを話しても、ごめん何も覚えてないわ〜、と笑顔で交わされます。

 

 

その経験から、なんとなく自分の子供にはそんな経験をさせたくないと思うようになったり、良いお母さんにならなくては、と

気負ってしまう人もたくさんいるんじゃないでしょうか。

 

 

 

私たちは良いお母さんになる必要はありません。子どものことを100%受け止めるお母さんであればいいんです。

 

 

毎日ご飯を5品の手作りする必要もないし、子供の給食袋をミシンで一生懸命作る必要もないんです。

 

 

なんとなく、そんなことを伝えたい気持ちになりました。

 

 

私が大好きな、元気が出る漫画を貼っておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

全国のお母さん、頑張りすぎないでね。

 

 

はいとうチサト

 

1980年生まれのA型

真面目気質が自分の本質だと思い込んで育つ。

小5で建築家を目指し建築学科卒業

30歳で一級建築士となる。

 

不動産業界で住宅リノベに10年以上関わるも

ワークライフバランスに疑問を感じ38歳で独立。

 

一男一女の母。

整理収納ビジネスで独立したのち、コロナを期に完全オンライン化。

 

起業コンサル、資産コンサルなど
活躍の場を広げている。

のべ1500人以上の悩みを解決。

 

2023年現在マレーシアに家族で移住中。

 

 

お金持ち脳アドバイス、資産運用アドバイス

https://okanemochisai-202310.my.canva.site/