いまの拝藤チサトしか知らない人は
『自信満々で順風満帆な人生』と
思ってしまうかもしれませんが
実は全然違います!
※2017年7月記事の加筆編集記事です
就職氷河期に、なんとか就職
拝藤チサトが大学を出るとき、
就職氷河期と言われる時でした。
(1980年生まれ)
滋賀県の大学で、
建築デザイン学科を卒業したのです。
しかし、
建築事務所で働きたいとは思いませんでした。
だって建築事務所は
修行みたいで大変そうでしたし、
私に建築における抜群のセンスがないことは、
大学の4年間でしっかりわかったしね。
受験したのは、ゼネコンや、住宅メーカー。
でも、ことごとく落ちました
/
世の中、女性の建築卒なんて、
全然いらんのやなぁ。。
\
と落胆した。
これはまだまだ軽い落ち込みでした。
その時は毎日『面接の達人』という
本を読んでいました。
そんな中、受かったのが、
地方の中小ゼネコン。
なんとか、格好はついた~~
ホッ。。
(四大出て、フリーターなんて恥と思っていた)
心の中は、そんな感じでした。
やっと受かったのに、半年でドロップ
でも、始まってみたら、後悔の連続。。
関西を離れて高知県に就職。
(兵庫県西宮市出身)
なんとか就職できたのに、
仕事は全然楽しくない。
毎日マンションの飛び込み営業。。
(一年目はみんな営業)
直属の上司はパワハラ、
先輩は陰湿にイジメ。
会社は立派な理想を掲げるけど、
全く、現実は伴ってなかったんです。
朝は早くて、
夜は21時に退社できるかどうか。
ゼネコンあるある、でしょうか??
やってることは、
仕事じゃなくて作業。。。
朝はコンビニ
昼はファミレス
毎晩コンビニ
健康的な食事もとらずに、
彼もいない。(遠距離)
家族も友人も側にいないいない。
毎日めっちゃ歩くから
ペタンコのダサぐつ。
飛び込みのマンション営業。
毎日汗をかくから
安物ペラペラのスーツ。
どうせ誰も見てないし。
あれ?
わざわざ高知県に住んで、
私、何やってんだ?
健康で文化的な最低限度の生活が出来てない。。
もうイヤー!!!
これは、私が求めた世界じゃない!!
そう思って、イヤになって、
半年で
辞めちゃいました。
恥ずかしい気持ちで実家へ
/
半年でドロップして、恥ずかしい。
情けない。
\
と思いながら、
4年半ぶりに実家に帰りました。
私は大学生時代は一人暮らしをしていたので、
家族と暮らすこと自体も久しぶりでした。
大学まで行かせてもらって、これかよ。。。
情けない。
親に申し訳ないと思っていました。
すぐに仕事が見つかるわけもなく、
ふらふらとアルバイトを始めました。
どう見えるか?
私が他人から、どう映るのか?
と、
他人軸の
幸せを追いかけていた。
有名な会社で仕事をする人は優秀
仕事で評価されて、上司に褒められるのがよいこと
同僚の中ではトップクラスにならなくては
そんなことを気にしていて、
とても疲れた23歳でした。
『つづく...』
全8話 プロフィール
ごあんない