今気づいたのだが、今日はクリスマス・イブである。そんな聖なる日に、朝から不愉快な目に遭った。
今朝はあいにくの雨であった。ただでさえ寒い12月に雨にうたれ、駅のホームにたどり着いた時には、すでに疲労困憊していた。
幸い電車に空席があり、俺はほっとしながら腰を下ろした。思えば、この時この空席に座らなければよかったのかもしれない。
俺の左隣には妙齢のご婦人が腰かけていた。婦人は、席と席の間にあるこんもりにケツの半分ほどを乗せるように座っていた。つまり、二人分の席の真ん中に腰かけるような格好である。
俺が空席の前に立つと、いかにも大儀そうに、婦人はそのこんもりからケツを外した。そうして空いた一人分の席に、俺は腰を下ろした。
すると婦人は居心地悪そうに身をくねらせ、自身の右肩をぱんぱんと叩いた。それはまるで、肩についた埃か何かを払い落とすようなしぐさであった。
その時はそれほど気にも留めなかったが、俺が鞄から本を取り出そうと身動きをした瞬間、婦人は再び同じように肩を叩いた。
そのときになって初めて、俺は婦人から嫌がられているのだと気づいた。
もしかすると雨でコートの肩がびしゃびしゃになっているのかとも思った。もちろん、まったく湿り気がないとは言わないが、せいぜいごく常識的な範囲の「お湿り感」だったはずである。
それから、何がどう気になるのかわからないが、俺が身動きをするたびに婦人はてきめんに反応する。次第に、これは湿り気云々の問題ではなく、俺そのものを汚いと感じているのではないかと思えてきた。
俺は毎朝風呂に入ってから会社へ行く。少なくとも、その電車に乗り合わせた多くの人よりは清潔であると自負している。そこまで汚がることはないじゃないか、と、思わず舌打ちが出た。
舌打ちは案外大きく響き、それ以降婦人の肩払いは止まったが、今度は自分の右肩が俺に触れないよう、左手で強く肩を押さえる仕草を見せた。その態度は、かえって俺の心を傷つけた。
その時俺は、この婦人と遭遇するのが初めてではないことに気づいた。
それは、今年の7月のことである。
今から5か月前のあの日、朝から電車が遅れていた。最近は比較的早い時間に出勤しているため、少々の遅れで遅刻することはないのだが、その日は少々ではきかなかった。実に40分以上も電車が遅れ、いつもならとっくに会社に着いている時間になっても、まだ自宅最寄り駅のホームに立っている始末であった。
先行車両に異常があり、その影響で到着するホームが変更になるとのアナウンスがあった。それにいち早く反応し、他者に先んじてホームを移動した俺は、やがて入線してきた電車で座席に座ることができた。ある意味ではラッキーだったと言える。
だが、隣に座っていたご婦人の態度は最悪だった。
時々こういう人がいる。公共交通機関の車内で、少し手や足が触れただけで、さも汚いものに触れられたかのように、大げさに体を払う仕草をする輩だ。ごく身近にもいるが、その婦人もまた、そういう類の人間であった。
このように、殊更に潔癖症をアピールする人が時々いる。電車で隣り合わせに座る以上、多少肩や肘や足が触れてしまうことは避けられない。こちらとて、わざとやっているわけではない。それなのに、そのような態度を取られると、非常に傷つく。
もし心の病か何かで、他者との接触を病的に畏れているのだとしたら、そもそも公共の電車には乗らないはずだ。乗っている以上は我慢ならんというほどではなく、単なる潔癖アピールである。そんなアピールで、周囲に埃だけでなく不快感まで撒き散らすな、と言いたくなる。
そもそも、俺の肩や肘や足が婦人に触れているということは、婦人の肩や肘や足もまた俺に触れているということに他ならない。それを、なぜお前だけが嫌がるのか。
次に婦人の肩や肘や足が触れたら、俺も盛大にアピールしてやろうと内心で身構えていたが、それ以降、お互いの肩や肘や足が触れることはなく、婦人がそのような素振りを見せることもなかった。
やがて電車はようやく動き出した。ダイヤの乱れの影響で、駅に停まるたびに乗客は増えていく。
しばらくして、その婦人の前に若い女性が立った。女性はつり革につかまりながら鞄から何かを取り出そうとしたが、手元が狂ったのか、それを落としてしまった。
落ちたものは、座っていた婦人の足の上に一度落ち、そのまま床に転がった。何であるかは分からなかったが、ごく小さなものだった。婦人は嫌がりこそしなかったものの、落下に対して大げさに反応し、若い女性はひたすら恐縮していた。
列車の遅れもあり、車内は普段以上に混み合っていて身動きが取れず、女性は結局、その場で拾うのを断念したようだった。
その後、電車が大きな駅に到着し、多くの乗客が降りて若干スペースが空いた。そこで若い女性は、先ほど落としたものを拾い上げた。
それは、女性が妊婦であることを示すキーホルダーだった。どうやらキーチェーンが切れてしまっていたらしい。
それが目に入った瞬間、婦人は弾かれたように顔を上げ、慌てて席を譲ろうとした。その変わり身の早さは、ある意味であっぱれだった。しかし女性は「次の駅で降りるから」と、それを固辞した。
いくぶん空いてきたとはいえ、ダイヤの乱れの影響で車内外には人が溢れており、停車時間も普段より長くなっていた。
面前で立ち続ける妊婦を前にして、婦人もさぞ居たたまれない思いをしたことだろう。些細なことで大げさに反応し、妊婦を恐縮させ、さらに混雑した車内で立たせ続けていたのだから。
同じ女性同士で、相手が妊婦だと分かった途端に席を譲ろうとするあたり、それなりのモラルは持ち合わせているのだろう。
それだけに、余計に思う。

罪悪感に押し潰されればいいのに。
――「あの」婦人なら、仕方ない。
もともと、そういう人なのだから。