わたしたちはみんな、
人のことはよく観察できるけど
自分のことになると意識的にならない以上、よくわからない。


自分のことは10%しかわからないと言われているから
90%のこと、つまり自分自身のほとんどのことは
わかっていないのだ。









先日、ある人と話をしていて
「あぁ、この人は、ホントはもっともっと遊びたいんだろうなぁ。。」と
思う人がいた。


仕事を頑張って
家事も育児も頑張って
とても充実した毎日を送っているようだったけど、


わたしにはその人の心の奥底の叫びが、
「ホントはもっと遊びたい!」だったような気がしてならなかった。




なんとなくその人のことが気になっていたんだけど、
先日、友達に会って白ワインを飲みながらいろんな話をしていたところ、
わたしには「あーーー、そうか!」って
急にビビビっと来たことがある。


それはさ、
なんかその友達と話していたら


わたしって、もっともっと自由になっていいんだな、って。
最近、仕事のことばかり考えていたけれど
ホントは、もっともっと遊びたい!って魂が叫んでいるんだな、って。


あの友達の心の叫びが「もっと遊びたい!」と言っているように見えていたのは
そうか、わたしの心の叫びだったのかって、、、


そう気付いたら、
なんだかものすごく自分のことをおりの中に閉じ込めているような気がして
もっともっと遊びたいと思っていたのはこのわたしか!って、、、

素晴らしき鏡の法則を体験したんだ。




わたしが今、宇宙に何かをオーダーするとしたら
それは仕事のことばかり。
あれもやりたい!これもやりたい!
こんなこともやってみたいんだ!って


この前もずらずら!っと書いてみたら
仕事面のことばかりだった


それはどれも、とってもワクワクすることだし
ぜったいにやりたいことだし
自分のことを追いつめているわけではないからいいんだけれど


それと同時に、もっともっと遊びたがっているこの魂の叫びも
大切にしてあげないとなって、
そう思った。


ワインが入っていたこともあり
「あーーー、そっかーーー!
わたしってこんなに遊びたがっているんだ!
もっともっと楽しいことをたくさんやっていきたいんだ!」って


遊びこと・馬鹿騒ぎすること・ラブに関すること
そういう仕事面でないことでも
ちゃーんと自分を満たして上げないと!ってそう強く思った。




大切なことは
すべて目の前の人が教えてくれている


わたしは、ホントにそう思っています。


妙に気になること・あの人大丈夫かなーとかいっちょまえに気になって心配なんてしてるとき
それは、たいてい、というか、100%自分に関すること。


自分で見えない自分のある部分を、
目の前の人が教えてくれているに過ぎない


これを本気で生活の中に取り入れていくと
毎日の生活は学びの宝庫だなって、、
誰もがそう思えるのだと思いますハート


Nina*