自分が精神的に落ち込んでいるとき
「輝いている人」を見ることが辛かった。


今やネット上で
誰もがいろいろなことを発信できる時代。


何を発信しようと
それをどう受け止めようと
すべては自由なはずなのに、


それでもわたしは
「わたしってこんなにしあわせなのよ」的なことを発する人に
嫌悪感を感じることがあった。




人のしあわせを一緒に喜べたら
どんなにいいのだろう…


それを何よ!と跳ね返してしまう自分は
なんて心がすさんでいるのだろう…


そんなこと
百も承知だったけど
それでもわたしは誰かが疎ましかった。


幸せそうにしている人を
心から祝福できない自分自身がつらかった。






人は誰もがしあわせを望んでいるはずなのに
それでも「しあわせになってはいけない」という思い込みを持っている人がいるという。


初めて聞いたとき、
「なんだそれ!?」って思った。


「しあわせになってはいけない」なんて、
どうすれば、そんな思いにたどり着くのだろうって…
不思議で仕方がなかった。


でも、わたしもあるとき
気が付いたのよ。


あー、
わたしも一緒なのかな、って。


わたしの場合は、
「もっともっと輝きたい!」と思うその裏で、
「輝いてはいけない」って、ずっと自分のことを抑えていたんだな〜って。。








わたしが「輝いている人」を見ると
「何よ!」と思ってしまうように、

わたしがもし輝いてしまったら、
「何よ!」と思う人がいるのではないか…


つまり、
わたしがもっともっと輝くことで
誰かを傷つけてしまうのではないかということを
実は、心の奥底でずっと怖がっていたようなんだ。。


でもこれって・・・
傲慢きわまりないよね。




わたしがわたしであることで、
誰かを傷つけるはずがない。


でも、わたし自身が、
輝いている人を見て「何よ!」って思うことがあるように、

わたしはそういう人たちと同じになってはいけない…
つまり、輝いてはいけないんだ!と…

強く強く、思っていたようなのだ。




しあわせになりたいのに
しあわせになるのが、怖い。

輝きたいのに
輝いてしまうことが、怖い。

愛されたいのに、
愛されてしまうことが、怖い・・・。




* * *




でもね。
あるとき、面白いことを聞いたのよ。

「になちゃんが、輝いていないと思っているのは、になちゃんオリジナルの考え方だよね。になちゃんは、仕事で活躍している人を輝いていると思うみたいだけど、それって、になちゃんオリジナルだよね。になちゃんにはになちゃんの天才性があって、本質を生きることができれば、その時点で輝いている。っていうかになちゃん・・・、輝いているよね?」


「え、わたし・・・、輝いている?笑」

「自分の "輝いている定義" に当てはまらないから、輝いていないと思っていただけ?」

「え、わたし・・・輝いてるの??笑」




わたしはあの日に、
やめたんだ。


もっと、こうなれれば、輝ける!という考え方を。
そして、もっともっと輝きたい!という考え方を。。


そう思えば思うほど、
「今のわたしは、まだ輝いていない!」と
言い続けていたことになるし、


そう思えば思うほど、
自分だけが、自分のことを、ダメ出しし続けていたのだ。




あのときからよ。
「わたしは、わたしにしかないものを持っている!」
と思えるようになったのは。


いつもそこには目を向けず、
足りないものをずっと補おうとしていたけれど…


でも、
やっと見れたのよ!


わたしにしか、ないものを…

わたしだけが、できることを…

この世界で、わたしだけが見ることのできる…大切な世界観というものを…!!(涙)



nina*