自分が精神的に落ち込んでいるとき
「輝いている人」を見ることが辛かった。
今やネット上で
誰もがいろいろなことを発信できる時代。
何を発信しようと
それをどう受け止めようと
すべては自由なはずなのに、
それでもわたしは
「わたしってこんなにしあわせなのよ」的なことを発する人に
嫌悪感を感じることがあった。
人のしあわせを一緒に喜べたら
どんなにいいのだろう…
嫌悪感を感じることがあった。
人のしあわせを一緒に喜べたら
どんなにいいのだろう…
それを何よ!と跳ね返してしまう自分は
なんて心がすさんでいるのだろう…
そんなこと
百も承知だったけど
それでもわたしは誰かが疎ましかった。
それでもわたしは誰かが疎ましかった。
幸せそうにしている人を
心から祝福できない自分自身がつらかった。
*
*
人は誰もがしあわせを望んでいるはずなのに
それでも「しあわせになってはいけない」という思い込みを持っている人がいるという。
初めて聞いたとき、
「なんだそれ!?」って思った。
「しあわせになってはいけない」なんて、
どうすれば、そんな思いにたどり着くのだろうって…
不思議で仕方がなかった。
でも、わたしもあるとき
気が付いたのよ。
あー、
不思議で仕方がなかった。
でも、わたしもあるとき
気が付いたのよ。
あー、
わたしも一緒なのかな、って。
わたしの場合は、
「もっともっと輝きたい!」と思うその裏で、
「輝いてはいけない」って、ずっと自分のことを抑えていたんだな〜って。。
*
「輝いてはいけない」って、ずっと自分のことを抑えていたんだな〜って。。
*
わたしが「輝いている人」を見ると
「何よ!」と思ってしまうように、
わたしがもし輝いてしまったら、
「何よ!」と思う人がいるのではないか…
つまり、
わたしがもっともっと輝くことで
誰かを傷つけてしまうのではないかということを
実は、心の奥底でずっと怖がっていたようなんだ。。
でもこれって・・・
傲慢きわまりないよね。
わたしがわたしであることで、
誰かを傷つけるはずがない。
でも、わたし自身が、
誰かを傷つけてしまうのではないかということを
実は、心の奥底でずっと怖がっていたようなんだ。。
でもこれって・・・
傲慢きわまりないよね。
わたしがわたしであることで、
誰かを傷つけるはずがない。
でも、わたし自身が、
輝いている人を見て「何よ!」って思うことがあるように、
わたしはそういう人たちと同じになってはいけない…
つまり、輝いてはいけないんだ!と…
強く強く、思っていたようなのだ。
しあわせになりたいのに
しあわせになるのが、怖い。
輝きたいのに
輝いてしまうことが、怖い。
愛されたいのに、
愛されてしまうことが、怖い・・・。
* * *
でもね。
あるとき、面白いことを聞いたのよ。
「になちゃんが、輝いていないと思っているのは、になちゃんオリジナルの考え方だよね。になちゃんは、仕事で活躍している人を輝いていると思うみたいだけど、それって、になちゃんオリジナルだよね。になちゃんにはになちゃんの天才性があって、本質を生きることができれば、その時点で輝いている。っていうかになちゃん・・・、輝いているよね?」
「え、わたし・・・、輝いている?笑」
「自分の "輝いている定義" に当てはまらないから、輝いていないと思っていただけ?」
「え、わたし・・・輝いてるの??笑」
・
・
・
・
・
わたしはあの日に、
やめたんだ。
もっと、こうなれれば、輝ける!という考え方を。
そして、もっともっと輝きたい!という考え方を。。
そう思えば思うほど、
「今のわたしは、まだ輝いていない!」と
やめたんだ。
もっと、こうなれれば、輝ける!という考え方を。
そして、もっともっと輝きたい!という考え方を。。
そう思えば思うほど、
「今のわたしは、まだ輝いていない!」と
言い続けていたことになるし、
そう思えば思うほど、
自分だけが、自分のことを、ダメ出しし続けていたのだ。
あのときからよ。
「わたしは、わたしにしかないものを持っている!」
と思えるようになったのは。
いつもそこには目を向けず、
足りないものをずっと補おうとしていたけれど…
でも、
あのときからよ。
「わたしは、わたしにしかないものを持っている!」
と思えるようになったのは。
いつもそこには目を向けず、
足りないものをずっと補おうとしていたけれど…
でも、
やっと見れたのよ!
わたしにしか、ないものを…
わたしだけが、できることを…
この世界で、わたしだけが見ることのできる…大切な世界観というものを…!!(涙)
nina*