最近、つくづく思うことがある。
それは、「わたしって、意外と、のんびりした性格なんだなぁ...」ということ。




わたしはいつも、
テキパキと機敏な女性に憧れていた。




憧れていたというよりも、
むしろ、わたしはそういうタイプだと思い込んでいて、


テキパキしている自分こそが、
「自分」だと思い込んでいた。


でも、たまにはテキパキできない時があって、
そんなときは必ず溜息をつき
そんな自分をいつだって責めていた。




「またダラダラしちゃったよ...」
「5つやりたいことがあったのに2コしかできなかったよ...」
「あぁ、なんでもっとテキパキできないんだろう...」
というように...。




今年の2月頃、
わたしは S先生に相談した。


「いつもワクワク、テキパキと過ごしたいのに、無気力になってしまうことがある。そんな自分を変えたいんだ」って。




そうしたら、
Sさんはこんな風に言ったんだ。




「ん?でも、それって、
自分をコントロールすることになるよね?わかる??」


「うん。わかるけど、それでもホントにひどいのよ!
 何もしたくなくなっちゃうし、
 ひどい無気力状態になって、それに...!!」


「うん、わかるよ。じゃぁ、その辺、見てみようか」


と言って、セッションをしてもらった。




セッションのときには
Sさんがたくさんのことを言ってくれるけど、
それはいつも、Sさんが自分の考えを言うのではなくて、


Sさんが「高次元のnina*」に繋がってくれて
高次元のnina*の言葉、つまり、わたし自身の言葉をわたしに伝えてくれる。




余談だけど、
わたしはココが気に入っててね。




もしSさんが、
Sさんの言葉で、わたしにアドバイスしてくれるとしたら、
どんなに勉強を積んだセラピストさんでも
わたしは耳を貸さなかったと思う。


「あなたはそう思うかもしれないけどさ...!」
って、お得意の心の中ではじき返すことになると思うから。




でも、Sさんのセッションは
高次元のnina*の言葉を
そのままわたしに伝えてくれるから、好きなんだ。


だって、笑っちゃうほど的を得ていることばかりだし、
ときに「え?そうなの??嘘でしょーーー!!」と思うようなことがあるんだけれど、


それでも数ヶ月後には、
明石家さんまバリに、「ホンマや...」と思う瞬間が必ずと言っていいほど、訪れるから。




話を戻すと、
Sさんはこう言ってくれたんだ。(←高次元のnina*のセリフね)




「あなたには、機敏とかテキパキするとか、そういう要素はないから」
って。




...ぷははははっ!!





もうわたしは、
ホントにビックリしたね(笑)




だってわたしは、
自分はテキパキした女性だと思い込んでいたんだから!
それはもう、ホントにホントにビックリしたよ。。




* * *




思い返せばわたしは、
小さい頃からよく、「さっさとしなさい!」と言われていた。




とにかく兄が優秀で
妹はちょっと大丈夫かしら...?って感じに育てられ、


わたしは忘れ物は多いし
トロトロしてるし
本当は(!)そんなタイプの子どもだったんだ。




でも、「さっさとしなさい!」と育てられながら、
わたしの中で、「テキパキしなきゃ!機敏でいなきゃ!」という思いがどんどん確立されて、


のんびりしている自分ではダメだから、
テキパキした女性でいなければいけないと思い込んでいたのだ。




宮崎に引っ越してきてから
友だちもいない・都会らしい話題のスポットもない、そんな空間で過ごしていると、素の自分に向き合うことが自然とできる。




わたしはずっと
のんびりしている自分はダメだと思っていたけれど、


実は、のんびりと、ほんわかした時間の中に自分の身を置いて、
他人から見たら「さっきからどうしてそこにずーっと立っているの?」と思われるような時間をごく自然と過ごしながら、


その中でふと感じることに心を傾けたり、
それをノートに綴ったり、
とにかく自分自身を感じることが本当はすごく好きなんだ。




でも、仕事でもプライベートでも、
いつも「ゆっくりしている自分」を自分が責めて、
本来の自分ではない、「テキパキした女性」を一生懸命演じようと頑張っていた。




その演技はとても功名で、
多くの人の目に「テキパキした女性」に映ったかもしれないけれど



それはわたしの自然体なんかではなく、
わたしが必死になって
一生懸命、演じ続けた姿にすぎなかったのだ。




ワークショップに行くと、
わたしのニーズに「自然体」というワードが
しょっちゅう出てくる。


とにかくわたしは、今まで、
自然体の自分でいたことがないらしく、


心の奥底では「もっと自然体でいたい」ということを
ものすごく望んでいるらしい。




でもね、
どうしても罰してしまうのよ。


自然体でいる自分、つまり、のんびりしている自分でいると、
「あぁ、また時間を無駄にしてしまった」って。
「なんでもっと、テキパキできないんだろう」って。




きのうも、オットが寝た後の時間、
わたしは部屋でぼーっとしていた。


ゆったりとした時間を過ごした後に
歯を磨きに行くんだけれど、
今度は洗面所でぼーっとしてた。




ね、信じられないでしょ?




時計を見て
自分でビックリするくらい時間が経っていることもある。




でも、そういう時間で感じること、
そういう時間に思いつくこと、

そういう時間に
突然心の中に何かが沸き上がる瞬間がきっとわたしは大好きで、

時間を無駄にしている!と思っていた、その時間こそが(!)
本当はわたしにとって
ものすごく大切な時間だったんだ。


nina*