先日、お友達とランチをしたんだけど
話が止まらずに...
5-6時間しゃべり倒してきました~![みんな:01]




* * *




わたしはむかし、
誰かと会う前に「その日、何を喋るか」ということを

携帯に入力してから会いに行っていた。
 

面白い話とかイイ話とか、

本当に無意識なんだけど
携帯に入力してから
友だちに会うという...(笑)




こんな人、なかなかいないと思うけど、
本当にわたしは
人からよく思われたいという感情が強すぎて、


わたしが話すことで
「になちゃんて、面白いね」とか
「すごいね」とか「感動したよ」とか...
 

自分でも気付かないくらい
「人から○○と思われたい!」という思いが
カラダ中に詰まっていたみたいなの。




もちろん、
友だちに会ってしまえばペラペラと喋るだけで
 

「えっと次は...」なんて言って
携帯を見るわけではないんだけれど、
 

事前準備をしてから人に会わないと
相当、不安だったんだろうね。


プレゼンか!
って、今でこそ思う(笑)









わたしはずっと、
人の目を気にして生きるだなんてナンセンスだと思っていた。
 

自分だけは
人の目なんて気にしていないわ!というつもりに
なっていたけれど、
 

実は、誰よりもわたしこそが人の目を気にしていて、
仲のいい友だちに会うときでさえ、
こんなに構えて、生きてきた。




もしかしたら
わたしという人物は
ものすごくビクビクしながら生きていて、
 

でもビクビクしながら生きるだなんてカッコ悪いから
そんな自分を思い切り隠してて…
 

隠しながら生きているうちに、
そんな自分を、自分さえも忘れ去ってしまってた...

きっとそんな感じなんだと今は、思う。
 
 
 
 





去年、わたしがこのブログで
けっこうディープなことを書いてたら、

「そんなに身を削る必要ないですよ」

みたいなメールをもらったことがある。




そんな風に思うのかぁ...と思った記憶があるけれど、
2012年のわたしにとっては、
ブログに書くことが、
わたしの押し込めらた感情を吐き出す手段だったんだ。




書きながら泣いて、
泣きながら書く。




そうやって書き終わった頃には
信じられないくらい身が軽くなっていて、
毎回のように変化することを体感していたから、
 

去年のわたしには「書くということ」が、
欠かすことのできない浄化の手段だったのだ。



 




最近、去年ほどブログを書く気がしないなと思っていたんだけど、
もしかしたらわたしの中で
浄化の仕方が変わってきたのかもしれない。


ボイトレを始めたことで、
もう、歌いながら溢れてくる「感情と涙」が凄いのよ。
 

だから、わたしにとっての浄化の方法は
書くことから歌うことへと変わってきたのかなって、
そんな風に思ってる。




小さい頃、厳しく育てられた人は、
歌を歌いながら泣いてしまうことがあるんだって。
わたしの場合は、まさにコレ!




厳しく育てられたのかどうかはわからないけれど、
幼い頃から母の顔色を気にして
イイ子を演じてきたのは紛れもない事実。




だから大人になっても
行き場のない思いがたくさん心の中に詰まってて、
 

歌いながら歌詞の意味に思いを乗かってしまうと
わたしの中からうわーーー!!って
洪水のように全てが溢れ出す。




それがね、すごいのよ。

もっともっと吐き出していいよって...
ホントにわたし...辛かったんだよねって...

他の誰でもない自分が、自分へと、
ようやく言ってあげられる瞬間なんだ。
 
 
 
 





わたしはひねくれ者なので、
誰かにこういう風に言われるのが大嫌いだった。
 

・あなたはそのままでいいんだよ
・そんなに頑張らなくていいんだよ


あんたに何がわかるのよ!
うるさーーーい!!怒る
いつだって跳ね除けてきたこの言葉たちを
 

わたしはずいぶんと長い間かかったけれど、
ようやくわたしは、わたしに言えるようになってきた。




母親だって
オットだって
友だちだってダメなのよ。
 

やっぱりわたしにとっては、
自分で自分に言ってあげられないと意味がないもので、
 

自分で自分に言えるようになったからこそ(!)
ここまで心に響くのよ。


nina*