一青窈の「ハナミズキ」か
kiroroの「未来へ」




ボイトレの課題曲として、どちらか選ぶ必要があったので
とりあえず両方歌ってみたけれど、
「未来へ」は、とてもじゃないけど歌えない。




その優しさをときには嫌がり
離れた母へ素直になれず・・・





歌うって、やっぱりすごい。
歌詞の意味を感じながらそれを声に出して歌ってみると
わたしの中の感情が一気に溢れ出す。




母がわたしにしてくれること
母からわたしへの大きすぎる愛




わかっているのに
わかっているのに・・・
それでも母と距離を取ってしまう自分が情けなく、醜く思えて仕方がなかった。




まだわたしが母のそばに住んでいた頃、
卵やらりんごやら、よくわたしの家に届けてくれた。
何となく、元気がないように見えたり
少しだけ老けてしまったように見えたりした日もあったけど、
それ以上に、「母もわたしに、言いたいことを言えずにいるんだろうな」と思うことが何度かあった。




親子なのに、
言いたいことを言えないなんておかしな話。
でもわたし自身、いつから母に対して本音が言えなくなってしまったのか・・・
思い出そうにもよくわからないくらい、
もう、時間が経ってしまっている。




どんなときも笑顔が大切だと言って育てられたわたしは、
親の前でも友だちの前でも、
笑顔でいることは絶やさないようにと意識してきた。
でも本当は、その笑顔の裏で泣きたいほどつらいこともあったし
誰かに寄りかかりたいくらい苦しいこともあった。
でもそんな本音に自分さえも目を伏せて、
笑顔の裏側にいつだって押し込みながら生きてきたんだ。




最近、母に会っても、
なんとなく面白い話をして、何となくその場を取り繕ってしまう。
でも本当は違うんだよ。
本当はもっと、心の奥底で思っていることを全部言いたいし、
母の前でくらい、笑顔を見せなくてもいい、どんな自分だっていい、
ときに弱い自分だっていい、どんな自分でも肩に力を入れることなく見せられる自分でありたい。
今は、そう思っているんだよ。




本当の笑顔もたくさんあった。
でも、偽りの笑顔も数えきれないくらいたくさんあった。
そのたびに自我が殺されていくだなんて露知らず、
たとえ偽りでも、笑顔でいることが大切だと信じ込んでいた。




でも、もういいと思う。
「笑顔でいるわたしだけじゃない、本当はもっといろんなワタシがいるの!」
そんな風に心の中で叫んでいる別の人格を認めてあげないと
わたし自身が壊れてしまう。




わたしが小さい頃から
ノートにたくさんの思いを書き綴ってきたのは、
口にして言えない思いが心の中にたくさんあったから。




今だってそう。
ブログに書いているようなことを
一番近い、オット・母・父・兄・友だちたちに言うことができるなら
こんなことを書く必要なんて
もしかしたらないのかもしれない。




書くことが好きで、
書くことでいつも心を静めてきたけれど、
もしも本当の思いを、すらすらと口に出すことができたなら
毎日の生活はどんな風に変わるのだろう。




一番言いたいことを
一番近い人に言えないの。
でも本当は・・・、一番近い人に、すごくすごく、言いたいの。




nina*