なんかね、
すべては心の穴を埋めるために
使おうとするのではなく、
心の穴を見つめることに繋げられたら、人生ハッピーだと思うのね。




* * *




例えば、小説。
20代の頃、
わたしの中で小説と言えば、
現実逃避するための最高の手段だった。




小説にのめり込んで
主人公に感情移入すればするほど、
自分が抱えているモヤモヤ感から目を背けることができるから、
わたしにとって、これほど安くて簡単な現実逃避はなかった。




旅行なんかに行かなくたって、
部屋にいながらにして
あっという間に別世界に迷い込むことができるし、
そのうち、目には見えない心のざわつきや
締め付けられるような胸の痛みも
なくなるような気がしてさ。




もちろん、
なくなるわけではないし
一瞬そこから目を逸らしているだけなんだけど。
でもそうすることでしか、
わたしは自分自身を支えることができなかった。




早くわたしの中に活字を流さなきゃ・・・
早く別世界に行きたいのっ‼




まるで大量の薬でも飲むかのように
活字をたくさん飲み込むわたしは、
小説というのは、恰好の精神安定剤だったのだ。




でも、最近思うのよね。
むかしは現実逃避の手段だった小説も、
今では自分を見つめる手段のひとつになっているんだな、って。




その小説がいいとか悪いとか
感動するとかしないとか、
もはや、わたしにとってはどうでもいい。




たとえ作者が伝えたいことに
わたしの心がまったくヒットしなくても、
全然ちがうところでわたしは涙を流し、
体中に衝撃が走ることがよくある。




小説の中の何気無い一言、何気無い設定に心が止まり、
誰にもうまく説明できないような感情が
心の中からドッと溢れ出すとき、
「あぁ、わたしは本当にいろんな感情を抑え込みながら生きてきたんだな」ということを
これでもかと思い知らされる。




・本当に今まで強がって生きてきたんだな
・弱みを人に見せたくなかったんだな
・カッコ悪い自分を見せたっていいのにね
・それが恐くてできなかったんだよね




そんな自分を思えば思うほど、
今まで一人きりで頑張りすぎてしまった自分を
泣きながら抱きしめずにはいられずに、
小説の世界に引き込まれるのではなくて、
自分の中にある"あまりに大きな心の世界"に、あっという間に吸い込まれてしまうのだ。




小説
音楽
テレビや雑誌・・・




これらは、
いくらでも現実逃避の手段になりうる。
でも同時に、これらすべては、
自分の心を見つめるきっかけにもなってくれる。




心の穴って、埋まってくんだよ、絶対に。
何か(または、誰か)に埋めてもらおうと思っている限り、埋まることはないけれど、
これまで押し込めてきた自分の感情
しっかり自分で抱きしめてあげることができるなら、
心の穴は、まるで目に見えるかのように
どんどんどんどん、小さくなっていく。




これって、
すごくハッピーなことだよなって・・・
今のわたしは思うのよ。




nina*