と、古事記を知らない人が、随分偉そうなタイトルを掲げています。

皆さんも”古事記”という文字には見覚えありますよね?
そうです、中学の歴史でテストに出るからって覚えさせられる、
「日本書紀」と並んで歴史の用語問題で頻出の単語です。

恐らく、中学校の先生からは、日本最古の歴史書ですよー、
とか、さらっとした説明を受けたのでしょう。
そして、多くの方が単語として”古事記”を覚えたはずです。

私を含めて、多くの方が古事記の内容を知らないで育ったのだと思います。
当時の私に、少しでも探究心があったのなら、
”古事記”を手に取って読解を試みたかもしれません。

恐らく、そのような行動をされた方は奇特であり非凡で、
すでに大成され、社会にお役に立たれていらっしゃるでしょう。

私は凡人ですので、あくまでテスト頻出用語としての認識しか無く、
教科書通りに、内容を特に考えることもなく今に至ってしまいました。

しかし、日本の将来を考える政治家となった今、
古事記を理解したいと思うようになりました。

というのも、日本、或いは日本人を理解するには、
間違いなく”古事記”から始めなければならないと思うからです。


古事記は単なる歴史書ではなく、
日本という国の成り立ちについて教えてくれます。
それは、神話であり、天皇の話であり、歴史でもあります。

自分の国の成り立ちは。
大和魂とは。なぜ大和魂なのか。
天皇とは。日本とは。日本人とは。

少なくとも、明治維新の頃には、
確固たる答えを持っていたのでしょう。
高杉晋作の下関戦争における講話は有名です。

下関戦争で破れ、高杉晋作が4カ国との賠償交渉に臨みました。
彦島の租借権が議題に挙がった際、
アヘン戦争で破れて英国に租借された
清の上海での悲惨な在り様を知っていた高杉晋作は、
各国大使に対して、古事記の説法を始めました。



この演説によって、彦島の租借権はうやむやになったとの逸話があります。
これは、高杉晋作の1つの外交戦略であったと言えるのですが、
古事記は日本という国の成り立ち、歴史について書かれた書物であり、
外国人に対して日本という国を伝える書物であり、
幕末~明治の偉人にはこういった認識があったことが分かります。

しかし、今の私たち日本人は、どうでしょうか。
あまりにも日本を知らなさすぎるのではないでしょうか。
というのも、そういった教育を受けてこなかったからです。

日本の国の成り立ち、歴史を知らなくとも、
物資が豊かな日本に住んでいる限り、生きていけるでしょう。
しかし、
少なくとも、日本の将来を担っていく政治家として、
私は、日本の在り方を知っておきたいと思っています。
そして、子供たちにも学んで貰いたいと思います。

グローバル化社会は、地球に住む諸民族を同化させるのではなく、
かえって民族の違いをクローズアップさせます。
それが、戦争なり、テロなりを生む間接的な原因となっています。

現代は二度目のグローバル化社会を迎えたと言っても過言ではありません。
一度目は、正しく幕末~明治の頃です。
そして、高度な技術を手に入れた情報化社会において、
モノ・カネ・ヒトが自由に国境を越える現代は、
二度目のグローバル化に立ち向かっていかなければなりません。

日本人が日本人としての確固たる歴史観を持たずに、
幕末の志士たちのように強欲な諸外国と対等に渡り合っていけるでしょうか。

日本という国も土地も文化も伝統も先祖代々受け継いで、
そして末永く受け渡していくものです。

敗戦国という意識から脱却しそこねている戦後日本は、
経済成長によって豊かな物資と高度な技術を手に入れても、
そのイデオロギーはいまだ揺らぎ、迷子のままです。


日本を作った神々の話、
元首で在らせられた天皇の代々のお話、
歴史を知り、現在を視て、未来を創造する。


高杉晋作の師匠である、吉田松陰はこういう名言を遺しています。
「過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。」
古事記を知らなかった過ちを、正したいと思います。

その第一歩として、古事記を分り易く現代語訳で書かれた、
竹田恒泰先生の「現代語 古事記」を手にとった次第です。